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今回の知恵 熊谷人物伝

第67回 竹石 研二さん(たけいしけんじ) 2009年3月26日更新


くまがやねっと 熊谷人物伝 竹石研二さん
竹石 研二さん
 今回ご紹介するのは、深谷シネマ 支配人の竹石研二さんです。竹石さんは、1948年墨田区生まれ。高校卒業後、映画に関係のない仕事に約10年つきましたが、27歳の時、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)の生徒募集のキャッチフレーズ(竹石さんの記憶では、『若者よきたれ』)に惹かれ、退職。第一期生として入学しました。卒業後、日活児童映画部に就職しますが、部署の廃止で退職。その後、妻の地元・深谷へ転居し、生活協同組合に勤務。50歳を迎え、『五十歳の夢』という作文を書き、「60歳の定年まで勤務するのもいいけれども、本当にやりたいことは?」と自問自答し、映画への夢を捨てきれない自分がいることを再確認。50歳で自主退職し、2000年『「NPO法人市民シアター・エフ』を設立しました。商店街の一角にある洋品店を借り、映画館『フクノヤ劇場』を開館しましたが、9ヶ月で閉鎖。2002年深谷TMO事業で、『深谷シネマ チネ・フェリーチェ』を開設しました。


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深谷シネマ外観
 深谷シネマ設立への想い
 深谷にあった映画館が閉鎖されてから約30年もの間、深谷に映画館は存在しませんでした。
 竹石さんは、「私が50歳の頃は、リストラや様々な事件がニュースで取上げられていました。直接の知り合いではないけれども、同年代ということで仲間意識があり、無念だなと思いました。私は、映画から元気をもらったことがあるし、一人でもやれることはあるはず!という想いと、深谷にもう一度映画館をつくりたいという気持ちから深谷シネマ設立に至りました。」と経緯をお話して下さいました。

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映写室から見た劇場
 深谷シネマの運営
 深谷シネマはオープンして7年目。最初は給料はでずに、無給でしたので、スタッフは貯金を切り崩して生活をしていました。帰りがけ、お客さんに「良かったよ」と言われたり、経営が大変なのを知っている人が、お団子や野菜を差し入れしてくれるのが嬉しくて、『今より大変な経営はない。どん底からは上へいくだけ!お客さんに応えれば信頼関係が生まれていく。』と、熱い想いをもって運営を続け、3年目位から採算がとれるようになってきました。最初は竹石さんと映写技士の永吉さんの2人で始めた深谷シネマですが、今ではアルバイト、ボランティアスタッフなど含め7名が働いています。

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明るく開放感のある深谷シネマ入口
これからの目標を伺いました。
 「2009年度には、区画整理のため移転することになります。移転しても深谷シネマの安定した経営を続けること、映画文化の発信と街の活性化がこれからの目標です。深谷シネマが街の活性化を下支えするような仕組みがつくれたらいいなと思っています。」
                                (竹石さん)



取材日:2009年3月6日/取材記者:みいちゃん
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