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熊谷市文化財日記アネックス

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妻沼聖天山歓喜院の芭蕉句碑

芭蕉句碑

芭蕉句碑

妻沼の聖天山境内(鐘楼西側)に「稲妻や 闇のかた行 五位の声」と刻まれた芭蕉句碑があります。
芭蕉が、元禄7年(1694)猿雖亭(えんすいてい)で詠んだものと推定されている句です。五位とは五位鷺(ごいさぎ)のことで、夕方になると不気味な声を出して飛ぶ特性がある鳥です。
この句碑は、文化9年(1812)7月、地元の歌人五翁・角浪・可良久・五渡・五楼により建立されたものです。五翁は妻沼の人で、加舎白雄門・建部巣兆に学び、60歳の時に息子に俳号(五渡)を譲りました。五渡は五翁の子理兵衛。五桜は、弥藤吾村の人で、修験藤原山宝蔵院の二十三世。可良久は善ヶ島村の歌人羽鳥又左衛門。
碑裏面には、建部巣兆による撰文が刻まれています。建部巣兆は、加舎白雄の門人で、白雄八弟の一人。小林一茶と交友があり、妻沼を訪れた際に「五月雨や まくら借たる 桑の奥」との句を詠んでいます。
書は、太田蜀山人。狂歌師で、江戸牛込生まれ。湯島聖堂の学問吟味に合格し、各地を赴任し、紀行文・句集を刊行しています。このように本句碑は、地元妻沼と江戸の俳人・歌人・狂歌師のコラボにより建立されたもので、近世文化人の交流を物語る碑として貴重なものです。

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作成日:2017/12/17 取材記者:くまがやねっと管理人