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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

追補編第4回 熊谷市葛和田と千代田町赤岩を結ぶ渡し船

 葛和田渡船場風景(2017.10.11町田氏撮影)

今回は要望事項の「渡し船『千代田丸』の観光船としての新たな船出」を取り上げます。
要望の内容は5項目。

① 待合い小屋は、千代田町と熊谷市の情報発信(紙媒体)機能を備えた、観光案内所的なものとして
  規模拡充する。
② 傷ついて見えにくい案内板を修正する。
③ 「千代田丸」乗船場所の案内板を設置する。
④ 「千代田丸」本体を装いも新たに屋形船をイメージしたものにする。
⑤ 荻野吟子女史を顕彰する機会とともに千代田町と熊谷市との交流を深めることを目的として、
  荻野吟子女史の誕生日(3月3日)に近い日曜日にイベントを共同開催する。なお、荻野吟子女史は、
  埼玉ゆかりの三偉人の一人でもあるので、埼玉県にも協力を願う。

要望内容の①~③の現状施設の改善等にスポットを当ててみました。

【要望事項「渡し船『千代田丸』の観光船としての新たな船出」全文】はこちらからご覧ください。

■待合い小屋と案内板の改善

赤岩渡船場待合い小屋

渡船場の待合い小屋は、熊谷市側と千代田町側にあります。
2か所を比較すると渡船場と周辺環境に大きな差があります。その背景を調べてみました。
渡船は、県道熊谷館林線(埼玉県道・群馬県道83号線)の熊谷市葛和田と千代田町赤岩を結ぶ橋に代わる動力船です。
管理は群馬県が受け持ち、運行業務などは千代田町に業務委託されています。その内容は、次の通りです。(群馬県館林土木事務所と千代田町からの資料による)

赤岩側土手上の標識等

【事 業 名】 県営赤岩渡船運営委託
【事 業 費】 平成29年度 7,770千円(埼玉県1/2負担)
【委託範囲】 運航業務、維持運営費
      (台風発生時の待合所の移送費も含む)。
       一部町の予算執行も生じる。
       船、施設、物品は県が町に貸与。
【年間利用者数の推移】(3年間) 
 平成27年度 20,322人、平成28年度 20,171人、
 平成29年度18,308人

                      *土手上の案内板、トイレ等千代田町で整備。

葛和田の待合い小屋脇に立つ案内板

大きな差が出た原因は、群馬県と千代田町が事業の実施主体だからです。かつ、渡船事業を観光資源と捉え、関連施設整備を実施してきたのでしょう。
一方熊谷市側は、待合い小屋はあるものの、その脇に立つ案内板は市町合併以前の古いもので、かつ、内容も適切ではありません。なぜ、改善が進まなかったのでしょうか。(江戸時代の葛和田河岸の記述がなく、歴史を正しく伝えていない)
 

葛和田の待合い小屋

これら施設の設置と管理は千代田町と捉え、熊谷市側の改善等の要請を埼玉県も熊谷市も行ってこなかったのでしょうか。
渡船運営委託事業について、事業費を埼玉県が1/2負担している以上、どんな協議が今まで行われ来たのか明らかにすべきと思います。
両県の協議事項を明らかにした後、再度、熊谷市葛和田と千代田町赤岩を結ぶ渡し船の観光活用策を新たに要望する必要を感じました。

■渡船場までの標識と葛和田河岸を伝える案内板の設置

県道羽生妻沼線の道路標識

群馬県側の渡船場への道案内は適切に表示され、赤岩渡船場周辺には、赤岩河岸の歴史を伝える表示板やパンフレットが置かれています。
一方、埼玉県側は利根川までの道路標示はあるものの、利根川土手周辺や待合い小屋、桟橋等に葛和田渡船場の案内板はなく、更に「葛和田の渡し、葛和田河岸」を伝える表示板の設置もありません。

土手際の案内板

妻沼市街地から県道羽生妻沼線を進み、県道熊谷館林線交差点手前の道路標識を確認すると、「渡船場」が表示がされています。
交差点を左折し利根川土手に突き当たった土手際に、立派な案内板が設置されています。
「日本最初の女医荻野吟子生誕の地、妻沼グライダー滑空場、葛和田サッカー場」と3ヶ所が表示されている中に、なぜか「渡船場」の表示はありません。

江戸時代の利根川水運と熊谷の歴史にとって「葛和田河岸」は、欠かせない史実を残しています。その葛和田河岸の歴史を伝えるために、現在の渡船は大きな役割を担っています。
平成26年に開催された熊谷市長の秦小学校区ハートフルミーティングで、「葛和田の渡船場」が話題になっていました。1つは、待合い小屋の日差し対策の必要です。回答は検討しますでした。2つ目は葛和田の渡しの歴史を子供たちに伝えることです。回答は秦小学校長からですが、全校遠足で渡船を利用し、伝えているとありました。
現状の赤岩の河岸や赤岩渡船場のみの案内板や説明板を見ながら葛和田の渡しの歴史をどう伝えたのか、不安を感じました。
葛和田河岸の歴史を伝える施策の実施主体は、熊谷市です。
歴史を伝える材料と現在に残されている渡船を、地域の観光資源に活かす努力を熊谷市に強く求めたいですね。

■編集後記

今回のテーマは、群馬県、千代田町、埼玉県、熊谷市の2県1市1町に関わるために、十分な情報収集ができないまま、記事をまとめてしまいました。
再度、情報収集を重ね、荻野吟子女史の顕彰、グライダー滑空場等を含めて、利根川に関わる記事を紹介したいと考えています。
なお、千代田町役場ホームページには、赤岩渡船の詳しい紹介記事が掲載されていますが、熊谷市役所ホームページに葛和田河岸、渡船場の紹介記事は見つかりませんでした。
また、葛和田の待合い小屋脇に立つ案内板及び千代田町役場ホームページの記述中、「赤岩は坂東16渡津に数えられた」との記述は適切ではなく、1616年(元和2年)に幕府の定めた、関東の内の16ヶ所渡船場は、下記の通りです。
「白井渡、厩橋、五科、一本木、葛和田、河俣、古賀、房川渡、栗橋、七里ヶ渡、関宿之内大船渡堺、府川、神崎、小見川、松戸、市川」
(利根川上流河川事務所調べ)

■第4回詳細情報 

関連情報 千代田町役場ホームページ
要望内容に関する問い合せ先 問い合わせ窓口 高際康司
電話 090-8313-9520
〒360-0201熊谷市妻沼1380-5

作成日:2018/09/11 取材記者:m.hemmi