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くまがやねっと情報局
熊谷市文化財日記 アネックス
2012年2月12日更新 →バックナンバー
今回のテーマ

古墳と出会う


 熊谷市立江南文化財センターは、「つくる、しる、ふれる」を基本コンセプトにして、市内の文化遺産として伝えられた「文化財」の収集、保管、調査および研究を行うとともに、これらの文化財の活用を図り、未来へ継承していく仕事をしています。
 「熊谷市文化財日記」を通して、市内にある素晴らしい文化遺産を多くの皆様にお伝えすることができたら幸いです。さあ、文化財という新たな旅へ一緒に出かけましょう。

江南文化財センター  TEL 048-536-5062
熊谷デジタルミュージアム
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地上にそびえる前方後方墳
―塩古墳群―(熊谷市塩328周辺)
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塩古墳群

 のどかな田園風景を横目に、熊谷・小川県道を南下し、もう嵐山町に入る直前の、和田川を越えた熊谷市南端の丘陵を上りきった尾根上に塩古墳群はあります。
 平成5年冬、発掘作業員が木の根の絡む墳丘の角裾を力を込めて掘っています。そして、「ここの線が直角に出てくればな〜」という調査員の言葉が聞こえたかのように、墳丘西隅が直角に折れて出てきたのです。前方後円墳といわれていた塩古墳群T支群1号墳が、実は全長35.3mの前方後方墳であることが決定的となった瞬間です。前方後方墳と前方後円墳、1字しか違いませんが、歴史的にはすごく大きな違いがあるのです。
 1号墳は、最初から前方後方墳として分かっていたわけではありません。その形をめぐっては、古墳の研究の過程と合わせたように変化しています。昭和35年、前方後円墳と認識されていた1号墳と2号墳を主に、他の円墳とともに総数23基が古墳時代後期における群集墳として埼玉県の史跡に指定されました。当時は、前方後方墳という認識は薄いものでした。しかし、研究者の間から1号墳と2号墳について「後円部が丸でなく四角い形をしているのではないか」という疑問が出され、その後の測量精度の高まりと共に、各辺が直線的になる「前方後方墳」の可能性が高くなってきました。そして平成5年、発掘調査でこれが確認されたのでした。この時点で周囲にあった円墳も方墳であることが分かり、さらに塩古墳群が、当地で最も古い古墳時代前期の古墳群であることが判明したのです。
塩古墳群の図面はこちらからどうぞ。

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塩古墳群における除草作業


宮塚古墳―全国的にも珍しい古墳
(熊谷市広瀬589周辺)
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宮塚古墳

 宮塚古墳は、市内中央部広瀬地内に所在し、全国的にも珍しい上円下方墳という墳形をもち、昭和31年に国指定史跡として指定されました。
 上円下方墳とは、方形の段の上に饅頭のような円形の土盛りがのる特異な形で、県内の例では川越市に山王塚古墳があります。また、全国に目を向けてみると、天皇家や有力豪族たちが採用した墳形で、奈良県の石のカラト古墳、静岡県の清水柳北1号墳、東京都の熊野神社古墳・天文台構内古墳、福島県の野地久保古墳があります。宮塚古墳を含めた埼玉県の2例については、発掘調査が行われておらず墳形を確認していません。
 さて、宮塚古墳は、荒川左岸の自然堤防上に立地する広瀬古墳群中にあり、上円部が直径約10m、下方部が西辺24m、東辺17mで、高さ4.15mです。築造の時期は、7世紀末頃(今から1300年くらい前の古墳時代の終わりごろ)と考えられます。埋葬施設は、横穴式石室とすればかなり小さなものと考えられますし、もしかしたら火葬した骨を納める容器や箱のような部屋があったのかも知れません。残念ながら、埋葬施設も調査されていませんので、詳しいことはわかっていません。

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     宮塚古墳の文化財説明板        古墳の形が分かりやすい冬の宮塚古墳 



作成日:2012年1月13日/作成者:江南文化財センター

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