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くまがやねっと情報局
熊谷市文化財日記 アネックス
2012年12月19日更新 →バックナンバー
今回のテーマ

熊谷の古代を語る三つの古墳
鎧塚古墳・大塚古墳・籠原裏第1号墳


 熊谷市立江南文化財センターは、「つくる、しる、ふれる」を基本コンセプトにして、市内の文化遺産として伝えられた「文化財」の収集、保管、調査および研究を行うとともに、これらの文化財の活用を図り、未来へ継承していく仕事をしています。
 「熊谷市文化財日記」を通して、市内にある素晴らしい文化遺産を多くの皆様にお伝えすることができたら幸いです。さあ、文化財という新たな旅へ一緒に出かけましょう。

江南文化財センター  TEL 048-536-5062
熊谷デジタルミュージアム
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鎧塚古墳 (よろいづかこふん)
 「カーン、カーン。」市内上中条に位置する鎧塚古墳の発掘調査開始の杭打ちが始まりました。発掘調査は、まっすぐなトレンチ(土の埋まり方や遺構の概要を知るための試掘溝)を入れるために決まった方位と距離を保って杭を打つことから始まります。
 「ここに打とう」と決めた最初の杭が、これ以上にない、実に奇跡に近い都合の良い位置で、この発掘調査の成果を大きなものにする原因となるとは、この時、夢にも思っていませんでした。当地は、地上から見ても古墳があるなんて想像もつかない、一面真平らな水田地帯の中だったのです。
 しかし、杭は水田下に埋もれていた鎧塚古墳の後円部のど真ん中に打ち込まれたのです。
 先ず、この杭を中心に東西南北十字にトレンチを入れたところ、なんと北・東・南同じ距離で古墳の縁辺部に埴輪列がほぼ20cm間隔で出てきました。直径31.8mの円墳であることがわかったのですが、西側が出てきません。「おかしいなー」と思いながらさらに西へと掘り進めると、円の外12mで直線となる墳丘の終わりが見つかったのです。
 「すごい!前方後円墳だよー」なんと、当地では初めての発見となる「帆立貝式前方後円墳」が現れたのです。昭和54年夏8月のことです。

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鎧塚古墳発掘調査状況(南東より)

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鎧塚古墳出土高坏形器台(埼玉県指定文化財)

大塚古墳 (おおつかこふん)
 彩の国くまがやドームの東350mほど先のこんもりとした森、ここに市指定史跡の大塚古墳があります。これは直径35m、現高3.5mを測る円墳です。
 昭和57年7月、古墳中央の石室は、天井石が落ちかけ危険な状況になっていたために、天井石を安全な場所に移し、あわせて石室の調査をすることにしました。地元の人の話では、昔はこの中に人が集い、宴を開いたこともあったそうです。
 かぶさった泥を除けていくと、天井石は半円形で天井部のちょうど半分の大きさでした。天井石の移動には、庭石運搬のプロである植木屋さんに頼みました。その石を目にした彼は、「こりゃ3トン以上はあるでー」と驚きとも嘆きともとれる声を漏らしました。しかし、チェーンと滑車を巧みに使い、天井石を徐々に外へ移動してくれました。
 天井石を除き、きれいにした石室の中は、驚きの連続でした。
 石室の平面形は樽型で、長さ4.2m、最大幅3.4mの広さがありました。奥の壁になっている1枚の緑泥片岩の高さは2.75mもあり、左右の壁に使われた角閃石安山岩の截石は精巧に削られ、上下左右隙間無く組み合わさっていました。その壁は、上に行くほど大きな石(30×40×50cm)が使われており、内面全体を通して削られていました。その上、横の列はほぼ同じ大きさの石が使用され、時には下の石との段差を鍵形に加工していました。全体では上に行くほど狭くなるようなドーム型に、そして奥の壁も内側に10°程傾け、重い天井石の重量を全体的に分散させる見事な設計で作られていたのです。その場にいた全員が、その精緻な様子に見とれてしまいました。
 そんな高度な技術力を結集した石室を持つ大塚古墳は、1400年もの間、地元の人々に保護され続けています。

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大塚古墳石室側面・奥壁

籠原裏第1号墳 (かごはらうらだいいちごうふん)
 「石がまっすぐ並んでるよ」、「こっちもそうだよ。でも、こっちは向きが違うよ」という作業員さんの声を聞きながら、「そこはそのままにして、西側に移っていこう」という調査員の指示で墳丘の残存部上面を東から西へ削って遺構の確認をしていきました。
 その結果、中央部に徳利形をした石室(死者を埋葬する施設)があり、中からは腰に大刀を水平に下げる刀装具が発見され、この古墳の被葬者の地位が高いことが判明したのです。
 さらに、この主体部を挟んで西側の墳丘端にも最初に東側で確認された折れ曲がる直線の石組みと対称を成す石組みが確認され、円墳ではなく多角形墳である可能性が非常に高くなってきました。しかも、それぞれの内角が135度前後を示すことから、平面形が八角形となり、地方では非常に稀な八角墳(八角形墳)であることがわかったのです。
 古墳の位置は、JR籠原駅のすぐ北側(国道17号線より南)の台地上にあり、平安時代の大洪水で埋まり、さらに上部は削られて桑畑になっており、古墳の存在は知られていませんでした。
 その後、区画整理事業で発見され、大塚古墳と同様に埴輪を持たなくなった時期である古墳時代終末期(7世紀後半)に築造された古墳であることがわかりました。
 この特異な形の古墳は、北約2kmに同時期に造られる幡羅遺跡や、西別府祭祀遺跡などと密接な関連性が想定され、重要度を増しています。

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籠原裏第1号墳:南より

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籠原裏第1号墳平面図

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出典
・「文化財コラム 古代との遭遇・第3話」 『BUNKAZAI情報』第3号
 熊谷市立江南文化財センター 2010年
・『籠原裏古墳群』 熊谷市教育委員会 2005年 
・「文化財コラム 古代との遭遇・第4話」 『BUNKAZAI情報』第4号
 熊谷市立江南文化財センター 2010年
・『鎧塚古墳』 熊谷市教育委員会 1981年
・「文化財コラム 古代との遭遇・第5話」 『BUNKAZAI情報』第5号
 熊谷市立江南文化財センター 2010年



作成日:2012年12月3日/作成者:江南文化財センター

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