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熊谷市文化財日記 アネックス
2013年11月30日更新 →バックナンバー
今回のテーマ

『大里』という地名を考える。


 熊谷市立江南文化財センターは、「つくる、しる、ふれる」を基本コンセプトにして、市内の文化遺産として伝えられた「文化財」の収集、保管、調査および研究を行うとともに、これらの文化財の活用を図り、未来へ継承していく仕事をしています。
 「熊谷市文化財日記」を通して、市内にある素晴らしい文化遺産を多くの皆様にお伝えすることができたら幸いです。さあ、文化財という新たな旅へ一緒に出かけましょう。

江南文化財センター  TEL 048-536-5062
熊谷デジタルミュージアム
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『大里』という地名を考える。


 熊谷から寄居に掛けての地域を「大里」と呼び、熊谷市の一部を構成し得ている大里地域(旧大里町)や、大里郡という文字を目にすることがあります。この「大里」という文字、なんと読むでしょう。「オオサト」と言うことが一般的ですが、実はこの文字は、以外と古くから使われてきた地名です。
 地名は、ある範囲を区切るとき使う言葉の約束から始まったようで、土地と人の生活が深く結びついてきた米作りの時代(弥生時代)から進んできたようです.ですから地名の由来には、ある出来事にかかることや、平安や豊かな稔りなど、時代の人々の想いがこめられています。
 『大里』は、千三百年ほど前、奈良時代には荒川の周辺を呼ぶ地名として、使われていました。現在と同様に、行政区分の名称として「大里郡(郡は、コオリとも読まれた)」と当時の記録に残されています。これは、当時の土地台帳に当る文書で、武蔵国大里郡坪付と呼ばれ、荒川周辺の地名が書かれています。
 「大」は人や物事をするとき使い、「里」を強め讃える言葉となり、「里」は田を整然と区分した様子をいい36坪を一里としていました.「里」は古代の圃場整備として行われた条里制により、一里は約640〜650m四方の広さがありました。
 『大里』の名は、荒川の流域に果てしなく続くと思われた、みごとな水田地帯に鍬を入れ、豊かな稔りを願った人びとの想いが、目の前の風景と重り、(大いなる里)と呼んだのでしょう。

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寺内古代寺院跡出土文字瓦(平安時代)

 熊谷市柴地区の古代寺院跡(寺内古代寺院)は、昭和2年刊行の埼玉県史で紹介されていますが、この寺跡より「大里郡」の文字を流麗に書かれた布目かわらの発見が伝えられています。現在、わたしたちが使う文字となんら変わらない筆使いですが、平安時代としては熊谷市で、もっとも古い文字資料です。『大里』に限らず地名の実際の所在地は、長い歴史の中で大きく揺れ動き、ときには新しい地名に変わることもありました。

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寺内古代寺院跡(寺内廃寺遺跡)の上空から見た様子
現在はゴルフ場となっている。

出典:熊谷デジタルミュージアム



作成日:2013年11月28日/作成者:江南文化財センター

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