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くまがやねっと情報局
2005年10月1日号 →バックナンバー
何だろうコーナー
 街中を歩いていると、道端にある石碑を良く目にします。その中に本陣と書かれた石碑を見かけたことはありませんか?そこで第六回目は、本陣の石碑を取り上げます。


本陣の石碑って?

本陣の石碑
これなんだぁ?

17号国道の歩道を歩いていると、一つの石碑が目に入りました。その石碑をよく見てみると、“本陣”と書かれています。本陣という言葉は良く耳にしますが、一体何なのでしょうか?皆さんは知っていますか?

本陣とは・・・

石碑の拡大

本陣とは諸大名や幕府役人・公家貴族などのための特別な旅館で、一般の旅館とは区別されていたそうです。江戸時代初期の参勤交代制度が確立されてから、各街道の宿場町に置かれました。

宿場町としての熊谷
 江戸時代、中山道の宿場、熊谷宿が置かれました。そして、熊谷は中山道の宿場町として栄えます。宿場を描いた絵図によると、宿場内には本陣・脇本陣・問屋場・旅籠・茶屋などの多くの店が設けられていたそうです。
 熊谷宿の本陣は明治17年の大火災と昭和20年の熊谷空襲によって、跡形もなくなってしまいましたが、本陣の絵図によると、全国に現存する旧本陣と比べても中山道では最大級の規模であったようです。このようなことから、熊谷は宿場町として繁栄されていたことがよく分かります。
中仙道って?
 江戸時代の五街道の一つに中仙道があります。東海道に次ぐ主要街道で江戸の日本橋から出発して東海道に合流します。大名の参勤交代などが通行し、山の多い道であったが、東海道に比べると川による足止めがないというのがあり、女性は中山道を利用することが多かったそうです。また、日本橋から草津間は129里あり、69の宿場がおかれていました。


探してみよう!!

街中の石碑
町の中を歩いてみると、この本陣跡以外にも石碑やお地蔵様など様々な歴史的な跡がたくさんありました。気にして歩いてみると案外、目に付くものですよね。散歩がてらにこれらを探しみてもおもしろいかもしれません。



取材日:2005年9月11日/取材記者:ラッキー

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