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何だろうコーナー |
今回の何だろうは今から400年も昔のお話です。
石田三成の忍城水攻めの際に築いた、石田堤をご紹介します。 |
石田堤 |
今から約400年も昔の天正18年(1590年)6月、石田三成が忍城を水攻めにした際に築いたとつたえられている堤防です。わずか1週間で石田堤を築き、当時は全長28キロメートルにも及んでいたそうですが、現在は約250メートルが残っています。 |
忍城 |
石田三成は忍城の地形から、城の周囲に堤を築くことにしました。
堤の完成後、利根川と荒川の水を引き、水攻めの作戦にでます。しかし、城の廻りに水が溜まるのではなく、下忍の堤根方面に水が溜まってしまい、堤は決壊してしまいました。石田三成の水攻めは失敗に終わってしまったのです。 |
その後、忍城は落城することなく、しばらく水に浮いた姿になったことから「忍の浮城」と呼ばれています。 |
堀切橋 |
堀切橋は忍川の上流付近にあり、現在の石田堤のすぐ近くに位置しています。
橋の名前は水攻めにしたときに、 この付近で石田堤が破堤したことに由来するようです。 |
堀切橋 |
堀切橋 |
石田堤公園 |
石田堤の一部は「石田堤史跡公園」として完備されています。わかりやすく歴史が探索できるようになっているので、是非、足を運んでみてください。
石田堤(地図)
JR高崎線「吹上駅」下車、徒歩約15分 |
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