|
|
何だろうコーナー |
昔、熊谷地方で小山ほどもある大きな熊が大暴れしていたという話を聞いたことはありませんか?今回の何だろうコーナーは大熊退治についてご紹介します。 |
熊野神社(熊野権現堂) |
今から850年ほど前の永治の時代に、熊谷地方一帯に猛熊が往来し、庶民の生活を脅かし、悩ませていました。
庶民の手にはおえず、閉じられた家の中で脅える日々が続いていました。 |
熊退治の場所「熊野社跡碑」 |
そこに勇敢な一人の若者が現れました。
若者は二本の矢を持ち、大熊に立ち向かってその矢を放ちます。矢は大熊の両目に見事に命中。大暴れしていた熊も一瞬のうちに動きを止め、そのすきに数本の槍を心臓をめがけて突き刺しました。このようにして大熊は退治されました。
この若者は熊谷次郎直実の父、直貞だったのです。
|
熊野神社(熊野権現堂) |
高城神社 |
直貞がこの猛熊を退治した際に、熊野権現堂を築いたとされています。
当時、熊野権現堂は現在の熊谷市箱田にたてられていましたが、明治維新後に熊野神社と称し、明治40年に、高城神社の境内に合祀されました。(地図)熊が退治された熊野権現堂には「熊野社跡碑」(地図)がたてられています。 |
|
|