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2013年5月30日更新 →バックナンバー
今回の趣味

第24回 荻野吟子の顕彰事業


 日本女医公認第1号である荻野吟子が没して、今年で100年です。
 没後100年を記念した熊谷市の事業が、市報くまがや5月号等で明らかにされました。

妻沼聖天山界隈
没後100年記念フォーラムチラシ


●熊谷市の事業
①荻野吟子没後100年記念事業
 日本最初の女医「荻野吟子」没後100年記念フォーラム
  ・6月23日13:30 熊谷文化創造館 入場無料 
  ・所管 熊谷市教育委員会社会教育課 048-524-1111

②荻野吟子没後100年記念事業巡回パネル展
  ・各会場9時~17時最終日15時まで
  ・所管 江南文化財センター 048-536-5062
       5月22日~30日 熊谷市役所南側ロビー
       6月3日~7日 妻沼行政センター1階ロビー
       6月10日~14日 大里コミュニティセンター1階ロビーラウンジ
       6月17日~21日 江南行政センター1階ロビー

③一緒に学んでみませんか?~女と男のセミナー~
 第1回目(6/15)没後100年 荻野吟子の生涯
 ・講師 鈴木 忍氏(妻沼地域文化財調査研究会)
 ・所管 男女共同参画室 048-599-0011

●同時代に生きた女性2人が没後100年
 このコーナーの第22回で取り上げました女流南画家奥原晴湖の没後100年記念事業は、熊谷市立熊谷図書館展示室で回顧展(4月5日~5月12日)が開催されました。
 奇しきも 熊谷ゆかりの2人の女性偉人にスポットが当たる年となったのです。
 ほぼ同時代を生き、一人の男性・稲村貫一郎を介して、荻野吟子の生き方に大きな影響を与えた人物の一人として、奥原晴湖を上げる郷土史研究者がいます。
 女性の地位が低い時代に歩んだ道は異なりますが、2人の生き方に接し、その功績や作品を知ることは、顕彰事業の目的であり、2人の情報を広く発信することで、熊谷地域の新たな魅力を高めることになります。

妻沼聖天山界隈
奥原晴湖展会場風景

 しかし、熊谷市の顕彰事業は、2人の事業を別々に企画し実施していることです。同時代に生きた女性という視点で、顕彰事業を実施することが、市民の新たな関心を喚起し、今後の継続した顕彰事業につながると思うのですがいかがでしょう。さらに残念なことは、行政のみの事業に偏り、市民の活動が少ないことです。熊谷ゆかりの女性顕彰会などの組織が生まれ、事業が進めらることを期待します。
 ※荻野吟子のプロフィール
   熊谷デジタルミュージアム「熊谷の偉人の部屋」をご覧ください。

●荻野吟子顕彰事業
 生誕の地における顕彰事業を概観してみました。
 大正4年(1915)「秦村人物誌」が、当時の秦村小学校長により編さんされ、この人物誌の中で荻野吟子が最も多くのページが割かれていたとのことです。この秦村人物誌が、顕彰事業の最初となりました。
 この後は、北海道瀬棚町が顕彰活動を始めた昭和41年(1966)まで、生誕の地において、荻野吟子は忘れられたていたのでしょう。
 実録日本の女医第1号荻野吟子(昭和59年2月 国書刊行会)の著者である奈良原春作氏は、著書のはしがきで、「私が荻野吟子とかかわりをもつようになったのは、北海道瀬棚町において、『荻野吟子女史顕彰碑』の建設、並びに『荻野吟子』小伝の刊行が計画され、吟子女史の出身地である妻沼町に、吟子女史に関する資料の提供を求められた、昭和41年からの事である」、更に「日本公許第1号の、女医の出身地でありながら、さしたる資料がないのは、誠にお恥ずかしい次第でる」と、述べています。
 昭和45年(1970)に渡辺淳一氏の小説「花埋み」が出版され、ようやく郷土の偉人を顕彰しようと動きが活発になっていきます。
 
(1)埼玉県の施策
 埼玉県は平成17年(2005)に、男女共同参画の推進に顕著な功績のあった個人や団体、事業の方々に「さいたま輝き荻野吟子賞」を贈る表彰制度を設け、平成23年(2011)に制度の内容を見直し、「きらきら輝き部門」、「さわやかチャレンジ部門」、「いきいき職場部門」の3部門での表彰を行っています。

(2)熊谷市(旧妻沼町)の施策など
 ・昭和43年(1968) 4月 明治100年を記念して秦小学校に
                荻野吟子女史顕彰碑建立。
 ・昭和46年(1971)11月 生誕の地を妻沼町史跡に指定。
 ・昭和59年(1984)11月 荻野吟子生誕之地へ秦小学校から顕彰碑
                「荻野吟子女史之碑」を移転。史跡公園完成。

妻沼聖天山界隈
史跡公園(利根川の土手から撮影)

 ・平成2年(1990)10月 日本公許・女医1号 新作戯曲荻野吟子抄
               著者佐々木武観 発行妻沼町。
 ・平成2年(1990)11月 劇団Q「紅燃えて果てしなく荻野吟子抄」公演。
 ・平成5年(1993)11月 史跡公園に荻野吟子女史像建立。
 ・平成8年(1996) 2月 史跡公園敷地拡張、植栽、四阿設置。
 ・平成10年(1998)10月 三田佳子主演「命燃えて」新橋演舞場で公演。
 ・平成12年(2000)2月 三田佳子主演「命燃えて」埼玉会館で公演。
 ・平成12年(2000)4月 妻沼展示館を開館し、常設展示として
               「荻野吟子コーナー」設置。

妻沼聖天山界隈
妻沼展示館

 ・平成12年(2000)7月 史跡公園西側に花畑公園設置。
 ・平成13年(2001)4月 道の駅めぬぱる
               「にっぽん女性第1号資料ギャラリー」開設。

妻沼聖天山界隈
めぬぱる「にっぽん女性第1号資料ギャラリー」

 ・平成13年(2001)6月 雑司が谷霊園荻野家墓所に荻野吟子像建立。
 ・平成18年(2006)5月 生誕の地に荻野吟子記念館の建設。

妻沼聖天山界隈
荻野吟子記念館

 行政が関わった顕彰施策が、平成2年から増えはじめ、三田佳子主演
「命燃えて」の演劇には、当時の町民は新橋演舞場、埼玉会館へ足を運びました。
 そして、平成12年には、荻野吟子の生家の長屋門(現在群馬県千代田町の光恩寺に移築保存されている)を模したデザインの妻沼展示館を建設し、内部の展示室の一室を「荻野吟子コーナー」として、関係資料を展示していました。
 ところが、6年後には、生誕の地に新たに荻野吟子記念館が建設され、妻沼展示館から、「荻野吟子コーナー」はそっくり移転。
 顕彰事業という名の下に、施設や顕彰碑・像を造ることが目的になってしまったのでしょうか?
 前段の「秦村人物誌」の編さんの趣旨が、「実録日本の女医第1号荻野吟子」に載せられていましたので、顕彰の目的を考える参考になるかと思い、その一部を紹介しましょう。
 「功績顕著にして故人となりし郷土の人物の伝を書き残して後の世につたふる事はいとよき事になん。凡そその教えの道は過去を知りては悪を棄て善に遷るに努めしむるにあり、我が過去は知り難く人の過去は知り易し、明鏡もその裏を照らさず、知者も我が身を知るに暗しとかや、後の人にこれを読みて鏡とせられなば余の喜び何者かあらんや」

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*参考資料
 ・実録日本の女医第1号荻野吟子 奈良原春作著
  昭和59年2月 国書刊行会
 ・日本女医第1号 荻野吟子 瀬棚町開基120周年記念
  平成12年 瀬棚町
 ・花埋み 渡辺淳一著 昭和53年7月 角川文庫
 ・妻沼町町村合併50周年記念要覧 平成17年 妻沼町

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*このコーナーの姉妹編となるホームページを作りました。
  ご覧になってください。
 ・『妻沼聖天山とその界隈



取材記者:逸見稔


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