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第7回 消えた新川村(きえたしんかわむら) 2005年2月18日更新



久下橋から見た新川村の面影
[消えた新川(しんかわ)村]
私は毎日久下橋を通勤で渡る。昔の冠水橋が無くなったのは本当に残念だが、新しい橋は快適で通勤時間も短縮になった。
大里町から熊谷市内に向かって毎朝車を走らせているが、左手に見える熊谷市街地は朝日を浴びて本当にきれいだ。右手には雑木林が見えるだけ。でも、何であそこだけに雑木林があるんだろう?なんて考えたことも無かった。





久下橋から見た熊谷市街地








土手より内側にも電柱が・・・








今は誰もいない廃屋








こんな所でも不法投棄が

[先日のこと]
先日、調べ物のため図書館に行った。調べ物も終わり、何か面白そうな物はないかと探していると、「消えた新川村」というタイトルの小冊子を見付けた。手に取ってみると、そこには昔、新川村という村があったが、近代化の名のもとに消えたとあった。その新川村、実は自分が毎日通勤している久下橋の右手の雑木林じゃないか。唖然としました。あそこに昔、村があったなんて!

[行ってみたい]
早速、次の日曜日に行って見た。荒川の土手から河川敷に降りると確かにここには村人が住んでいたと思われる痕跡があった。何故か河川敷にもかかわらず電柱があり、墓地まである。
農作業をしていた女性に声を掛けてみる。
「ここに昔、新川(にいかわ)村があったんですか?」
すると、その女性は
「新川(にいかわ)じゃなく、新川(しんかわ)ね。」
「ここにあったのよ。この点々とある雑木林は、みな昔の屋敷の跡。ここは、土手の内側でも河川敷じゃないのよ。だから固定資産税も取られてるのよ。」
「皆さん、どこに移られたのですか?」
「久下とかね。うちのおじいちゃんはここで(新川で)生まれて、ここで育ったから、新川の事は詳しいわよ。何か知りたいなら、うちのおじいちゃんに聞いてみたら。」
今まで何を勉強してきたんだろ。こんな身近なことを知らないなんて。

[おじいちゃんに会ってみた]
先ほどの女性は、親切にも久下の自宅に案内してくれ、おじいちゃんを紹介してくれた。実は、おじいいちゃんとは、大嶋利雄先生だった。大嶋先生は新川生まれで新川育ち、新川のことをこよなく愛する元学校の先生。今でも新川研究の第一人者である。

こんな立派な方と偶然にもお会いして話ができるなんて・・・。
大嶋先生は、歴史に大変詳しく、徳川幕府が米の生産量を増やすために荒川の流れを変えたという話にはじまり、熊谷の南口付近は万平という人が土手を作ったので万平町と言うなど、色々と興味のあるお話を伺うことができた。先生はこれから同窓会で深谷に行く予定のあるところを、わざわざ時間を割いて下さった。本当に感謝です。

[再度、新川村を歩くと]
再度、新川村があったところに戻り、歩いてみた。そこにはゴルフ練習場があり、その日も沢山のゴルファーが練習していたが、みんなここに新川村があったことを知っているのか尋ねてみたくなった。更に歩いてみると、草むらの中に古ぼけた民家もあった。何か懐かしいというのか、タイムスリップした感覚になった。
しかし、ここでも、ゴミの不法投棄が何箇所もあったことに憤りを覚えた。ここにゴミを捨てた人間は、ここに昔、新川村があり、村人がやむを得ず移転しなければならなかったという事実を知っているのだろうか。

[最後に]
新川村について、もっと調べてみようと思う。そして、このHPにまた記事が載せることができたら、是非紹介したいと思う。
今日は、人間の持つ温かみと、人間の醜さの両方に出会った。
たまたま会話を交わしただけで、自宅まで案内して下さった大嶋様の温かさ。それに比べ、誰も見ていなければ平気でゴミを捨ててしまう醜さ。
きっと、どちらも同じ人間なんだと、新川村が気づかせてくれたのではないだろうか

取材日:2005年2月5日/取材記者:Y.U


新川村(しんかわむら)

住所 埼玉県熊谷市大字新川
地図を見る


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