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今回の知恵 熊谷人物伝

第113回
石上寺 岡安哲也さん (おかやすてつや)
2011年4月27日更新


くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん 今回ご紹介するのは、石上寺の第23世住職 岡安哲也氏。
昭和60年に石上寺住職就任。

 石上寺の縁起
 石上寺の縁起は、寺の言い伝えとしては元和2年(1616)といわれ、新編武蔵野国風土記では寛文11年(1671)に創建されたと書かれている。天正2年(1574)、北条氏邦氏が荒川の堤防・北条堤を築いた。石原(現本石)の松岩寺東より始まり、石上寺西側を経て東へ延び、現秩父線の上熊谷駅付近まで続いたという。この堤防が堅固であるようにと祈願寺として建てられたのが石上寺である。
 「荒川の流れが東西から南北に切り替わる所がよく決壊したそうです。決壊すると星川を通って忍の城下まで水が流れ込んだと聞いています。」と岡安住職。堤防は通常幅一間であったが、よく決壊するという箇所の堤防は蛇が物を飲み込んだような形でそれより広く高く造り、広くなった堤防のうえに石上寺は建てられた。


くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん
本堂

くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん
本堂内部

本堂について
 1945年8月14日、終戦前日の熊谷空襲で本堂、庫裏、山門等全てを焼失した。その後、妻沼のある農家の建物を移し、改装し本堂として昨年まで使用していた。「先代の存命中に再建をと思っていたが、それは叶いませんでした。私が思いを受け継ぎ2011年5月4日に落慶式を執行するまでになりました。」と岡安住職は話す。
 岡安住職の強い希望により本堂のモデルは唐招提寺。唐招提寺にも用いられている建築技法 エンタシス(参照:Wikipedia フリー百科事典)を用いており、円柱が上に行くにつれて細く、目の錯覚を利用し柱が高く、安定して見えるような造りになっている。

2011年5月4日 落慶式
午前中  本堂完成記念お稚児様
午後    落慶法要
       松本明慶氏(仏師)  入仏式
16時〜  小川三夫氏(宮大工) 本堂にて講演会



くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん 年間行事
新年 護摩祈祷
立春 節分
春の彼岸法要
4月8日 灌仏会(釈迦の誕生を祝う仏教行事)
8月 お盆
秋の彼岸法要
除夜の鐘


くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん
本堂
これから
 「堤防に桜が多いのは、木の根で堤防を堅固にするため、桜が咲いた時に綺麗だから等の理由があります。北条堤と石上寺の境内に植えられた桜は桜の名所になり、江戸時代の領主である忍城主が桜見物に来たという言い伝えが残っています。今年の春、熊谷桜ファンクラブ、公益財団法人 日本花の会から養木25本を頂きました。昔、桜の名所だったこの地を何とか復活させ、お花見をしていただけるようになればいいなと思っております。
 又、松本明慶氏作の千手観音を見たいという要望が多くいただいております。縁日という大げさなものではないけれど、本堂を開けて、お参りしたい方には是非ご覧いただきたいと思います。」
                          (住職 岡安哲也氏)


くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん   くまがやねっと 熊谷人物伝 石上寺 岡安哲也さん



取材日:2011年3月31日・4月20日/取材記者:みいちゃん
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