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熊谷市文化財日記

歴史 地域

「幡羅官衙遺跡群」の史跡国指定 

幡羅官衙(はらかんが)遺跡群は、深谷市と熊谷市にまたがって広がる古代幡羅郡の郡家(郡役所)跡とその関連施設の遺跡です。深谷市には郡家跡の幡羅官衙遺跡、熊谷市には、祭祀場跡の西別府祭祀遺跡、寺院跡の西別府廃寺、幡羅官衙遺跡と同じ郡家跡の西別府遺跡があります。このうち幡羅官衙遺跡と西別府祭祀遺跡が、地方役所の構造や立地を知る上で大変重要な遺跡であるとして2018年2月、国の史跡に指定されました。

遺跡は、7世紀後半~11世紀前半(飛鳥時代~平安時代、約400年間)の郡役所の全体像が把握できるとともに、その変遷の過程が確認できる希有なものです。当時は、律令制度による天皇を中心にした中央集権国家の時代で、全国には70を超える国があり、この地は現在の埼玉県と東京都にあった武蔵国21郡のうち幡羅郡に所属しました。幡羅郡域は、おおよそ現在の熊谷市域の荒川以北と深谷市の東の一部であったと推定されます。郡家では、地方の有力者から任命された郡司による政治が行われ、その定員数は中郡規模の幡羅郡では4人と定められていました。

祭祀場【西別府祭祀遺跡】
湯殿神社裏の堀の様子

これまでの深谷市・熊谷市の発掘調査により、幡羅郡家では、当時税であった稲を収納した倉庫群「正倉院」、郡司や、国内を巡行する国司が宿泊したり、接待のための宴会が行われた「館」、宴会の食事を準備したり、食料や食器を管理していた「厨家」など様々な施設が発見されています。しかし、郡家の中枢施設で、郡政治の執務や儀式などを行っていた「郡庁」と呼ばれる施設は、未だ発見されていません。また、幡羅郡家には、近接して祭祀場や寺院がつくられ、郡家にとって重要な役割をもち、郡家とともに機能していました。

西別府祭祀遺跡出土石製模造品
【県指定文化財】

祭祀場【西別府祭祀遺跡】は、現在の西別府湯殿神社境内を中心に所在し、神社社殿裏の低地ではかつて豊かな湧水があり、7世紀後半は石製模造品、8世紀以降は土器を用い、11世紀前半にかけて、豊かな水の恵みや郡政治の安寧を願い祈りが捧げられていたと推定されます。
寺院【西別府廃寺】は、仏教の力による郡政治の安定等を願って、8世紀~9世紀の約200年間、僧侶によって仏に祈りが捧げられていたと推定されます。郡家・祭祀場・寺院の三要素が揃うのは全国的に見ても少なく貴重で、他には岐阜県の弥勒寺官衙遺跡群や神奈川県の下寺尾官衙遺跡群が知られています。
   


西別府祭祀遺跡出土石製模造品【県指定文化財】(上写真)
石製模造品:柔らかく加工しやすい滑石という石を材料として、馬・櫛・勾玉・剣などの形をまねてつくった
      祭祀に使われた道具。

■「幡羅官衙遺跡群」の史跡国指定 のスポット写真

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西別府祭祀遺跡出土石製模造品

■江南文化財センター

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住所 熊谷市千代329番地
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 土曜日・日曜日・祝日・年末年始
お問合せ 048-536-5062(熊谷市立江南文化財センター)

作成日:2018/07/16 取材記者:江南文化財センター