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熊谷人物伝

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第162回 チベット仏画師 飯野博昭さん

今回ご紹介するのは、チベット仏画師 飯野博昭さんです。

■プロフィール

1970年、埼玉県熊谷市生まれ。
1995年~2000年にかけてアジア・中東・欧州放浪の後、カトマンドゥに渡り、チベット人タンカ絵師カルマ・トゥプテンに師事。カトマンドゥ、北インドのダラムサラ、日本にて制作活動を行う。
2008年より日本に拠点を移し、不定期で個展を開催。タンカの技法を用いた植物画のワークショップを行うなど、活動の幅を広げています。

■チベット仏画(タンカ)とは?

ホワイトターラー

綿の画布に、チベット仏教に登場する如来、菩薩、各宗派の祖師・高僧の尊像、または仏伝図、六道輪廻図、薬草図などを、儀軌(決まり事)に則って描いた後、軸装または額装を施した絵画のことを「チベット仏画(タンカ)」と言います。
チベットでは法要の時や観想修行に用いたり、寺院を荘厳したり。多くの人々が、徳を積む為に寺院に寄進します。
現世利益の願いを込めて、一般の家にも必ず何枚かは飾られています。
かつては教育の機会がなかった人々を教化する為に、絵解きで解り易く仏の教えを説く時にも用いられた様です。
チベット仏画(タンカ)は、単なる絵ではなく、仏そのもの。教えそのものとして常に人々に寄り添って支えとなっているのです。

■チベット仏画(タンカ)を始めたきっかけは?

1枚の絵を描いたことが始まりです。その当時、ハンガリーのブタペストに住んでいました。
1人の日本人旅行者と知り合い、仲良くなり住所交換をしたのですが、彼から渡されたノートにはたくさんの人が彼の為に絵を描いていました。自分も何か、と、ふと思いついたのが曼荼羅をイメージした絵でした。
彼が「インドは第2の故郷」と言っていたので、インドは仏教発祥の地、仏教と言えば曼荼羅?ということで描きました。
勿論描いたのは本当の曼荼羅ではなく、単なる文様の羅列に過ぎませんでしたが、描き出したところ、自分でも意外な程のめり込んでしまい、数日の間描き続けていました。
暫くの間、その印象が強く残り、2ヶ月程経ったある日、「描こう!」と決心しました。その思いを周囲に伝えていたところ、紹介が紹介を呼び、ネパールのカトマンドゥに住むチベットタンカ絵師へと繋がったのです。

■チベット仏画の難しいところ ~気を付けること、大切なところ~

お経に基づく「儀軌」と呼ばれるたくさんの決まり事があり、それに則って描かなければなりません。その為、描く前に師匠に尋ねたり様々な文献を当たったりします。
身体の各部位の比率、お色、印相、足の組み方、何をお持ちか。相応しい供物など、厳格に定められています。間違ったり勝手な解釈で描いてしまうと、悪業を積むこととなると言います。尊像と、自分自身ともきちんと向き合う姿勢が求められます。
色ムラがなるべく出ない様な画布を作り上げる事、ぼかしを滑らかに描く事、線を生きているように引く事も難しく、長年の経験が必要です。制作にかかる日数は大体月単位となるため、諦めずに描き切る事も難しい事かもしれません。
仏さまの荘厳に金泥を使うのですが、金泥は磨くと少し絵具をはじく様になるので、その上から線を描くのは今でも苦労します。

■これからのこと

チベット仏画(タンカ)創作絵画の制作はまず第一ですが、『線描きワークショップ』や色塗りも行う『絵画講座』など、教える方にも力を入れてゆきます。
現在は殆ど都内ですが、地方は勿論、海外での開催も視野に入れて偏り過ぎる事なく活動を展開してゆく事を実現させたいです。描く事で少しでも幸せな気持ちや魂の充実感に繋げられたらと。
芸術、美術は文化であり、人が人として生きるのに欠かす事のできないものだと思っています。自らと向き合い、心を説き澄し、雑念を取り払い目前のひとつに集中する。癒しにも励みにもなります。
良く思うのです。自分は描く事しかできない。けれどそれを通して何かの、誰かの役に立てるならば、幸せだろうなぁと。

■第162回 チベット仏画師 飯野博昭さんのスポット写真

木枠に布を張り、白土と膠(にかわ)を塗ってキャンバスを作ります。
グリーンターラー・下絵
彩色の途中
グリーンターラー・軸装
麻耶夫人・線描きの様子
カトマンドゥ 師の家
飯野さんの寝室(生活空間)
サスポルの洞窟
アドンタールの子供に絵を教える
ラダックのゴンパ(寺)

■第162回 チベット仏画師 飯野博昭さんの詳細情報

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作成日:2016/06/14 取材記者:なべさん