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熊谷・軽井沢・プラハ

地域 歴史 ~2023年迄掲載

第23回 熊谷銘菓「五家宝」のルーツを探る

―文化庁「100年フード」認定・有識者特別賞受賞―
熊谷市立江南文化財センター (文化庁100年フード調査研究・申請担当者) 山下祐樹

■序章 100年フードとは

2022年3月3日、文化庁は、地域に根付く食文化を「100年フード」と名付けてPRする新制度で、自治体や団体などから応募申請された食や産品など212件のうち、131件を認定したと発表。100年フードは、江戸時代以前から伝わる「伝統」、明治・大正から続く「近代」、昭和以降に生まれ今後100年の継承を目指す「未来」の3部門がある。

■五家宝の100年フード認定

2021年12月、熊谷市文化遺産保存事業実行委員会(代表:藤間憲一、熊谷商工会議所や江南文化財センターなどを含む地域協議会)は、五家宝の歴史や概要、伝承技術の現状などの調査研究を進めた上で、「100年フード」への応募を行った。その選考を経て、熊谷地域周辺の「五家宝」が伝統の100年フード部門で認定された。伝統部門は全国で80件認定され、埼玉県内では他に、草加せんべいが認定された。近代部門は全国で23件認定され、埼玉県内では行田市のフライ・ゼリーフライが認定された。他に未来部門が全国で28件認定。また、食に関する情報発信に取り組む博物館や道の駅などの「食文化ミュージアム」には70件の選定があった。

■「五家宝」の有識者特別賞の受賞
「五家宝」は、131件の100年フード認定のうち、特に文化的価値を有するものとして評価された15件に与えられる有識者特別賞を受賞した。

■有識者特別賞 15件
きりたんぽ(秋田県)・五家宝(埼玉県)・太巻き祭り寿司(千葉県)・小田原蒲鉾(神奈川県)・へぎそば(新潟県)・ます寿司(富山県)・若狭地方のニシンのすし(福井県)・静岡おでん(静岡県)・大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)(大阪府)・ぼたん鍋(兵庫県)・出雲そば(島根県)・カツオのたたき(高知県)・皿鉢料理(高知県)・北九州の糠の食文化(福岡県)・ラフテー(沖縄県)

■第1章 五家宝とは

さっくりとした独特の歯ざわりと、きな粉の香ばしさがあり、どこか郷愁をそそるような素朴な菓子「五家宝」は、川越の芋菓子や草加の煎餅とならんで、埼玉の三大銘菓の一つといわれ、全国にその名を知られている。その材料や製法など、シンプルでありながら、全国的にみても類例の少ない菓子といえる。

菓子の特徴 五家宝の分類
和菓子は生菓子と干菓子に大別できる。生菓子には棹菓子(羊羹・ういろう等)、蒸菓子(鰻頭)、餅菓子などが含まれる。干菓子には米菓(あられ・煎餅)、飴菓子、豆菓子などが含まれる。五家宝は、干菓子のうち、「おこし類」に分類される。・おこしは、もち米を蒸して乾かし、これを煎ったものに胡麻、落花生、海苔などをまぜ、水飴と砂糖で固めた菓子の特徴を持つ。

菓子の特徴 五家宝の製法
五家宝の製法はおこしの工程と同じくし、もち米を一旦もちについてから薄くのばし、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものをタネにする。これに加え、欠かせないのが、きな粉(黄粉)の存在で、きな粉の風味が五家宝の旨みを決定するとも言われる。その後、生地(タネ)をまとめて円筒状にし、より板(のし板)で長くのばしてから切るという工程は、飴の製法とも類似する。

■第2章 五家宝の起源・発祥

埼玉県内では、五家宝は熊谷市と加須市の銘菓として知られている。その由来には諸説があり、誕生した地についても北関東全域に伝承が残る。

①水戸説1
江戸時代中期、水戸藩主・徳川光圀または江戸時代末の徳川斉昭の頃、創製されたといわれる水戸銘菓「吉原殿中」をまねて、群馬の菓子商が「五ケ宝」を創製し、売れ行きが良く、大里郡玉井村(熊谷市)の高橋勝次郎が知り、これをまねてこの地で製造販売したのが始まりとされる。


②水戸説2
文政年間(1818~1829)、水戸藩から忍藩に移り、成田用水の水役人を勤めていた水野源肋が武士を辞め、中山道沿いに駄菓子屋(茶店)を開いた。その際、故郷の銘菓「吉原殿中」を参考にして干菓子「五嘉棒」を作って売り出したとされる。

①・②説はいずれも水戸の菓子「吉原殿中」を起源とするもの。②の水野源助は熊谷市の菓子店「水戸屋」の初代で、熊谷五家宝の創始と伝わる人物に由来している。

参考:吉原殿中とは
茨城県水戸市周辺の銘菓「吉原殿中」の誕生について、水戸では、藩主二代光圀より九代藩主徳川斉昭の発案説が主流となっている。
斉昭は文武を奨励して勤倹貯蓄を実践させていた中で、吉原(江戸の吉原出身という意も)という名の奥女中が干飯として日頃から置いてあったものを早速煎って飴でこね、きな粉をまぶして出した。
斉昭は大変これを褒め、吉原の創った菓子として吉原殿中と名付けたとさ
                 れる。(『茶の菓子』淡交社刊より)
吉原殿中は、現在の五家宝の形状(概ね平均的な直径2.2cm、長さ5.5cm)よりもやや大きい形(直径2.5cm、長さ8cm)が一般的とされる。

③群馬説
享保年間(1716~1735)、上州邑楽郡五箇村(群馬県邑楽郡千代田町)の人が、もち米の長い菓子を作り、地名に因んで「五箇棒」と名付けて売ったとされる。

④茨城説
江戸時代後期、利根川の氾濫に見舞われた利根川河畔の五霞村(茨城県猿島郡五霞町)の一老婆が、干飯を食べる際に、水飴で甘味をつけたきな粉に転がして食べたのが始まりとされる。
③・④説に共通するのは、利根川沿いにある「ごかむら」という名称が「五家宝」に転化した説である。

熊谷の発祥説の一つが、慈善家・吉田市右衛門が生活に困っていた庶民に与えた米菓子である。

吉田家の墓(集福寺)

⑤熊谷説
大里郡奈良村(熊谷市)の名主で慈善家の吉田市右衛門(二代、宗敬)は、天明3年(1783)の飢饉の際、蔵が延焼した際にできた焼き米を出して地元民に与えた。その後、江戸の菓子商を呼び、焼き米を用いた干菓子を作らせたことが、五家宝の発祥となったとされる。

⑥加須説
江戸時代後期、印旛沼(千葉県)のほとりに生まれ、武蔵国不動岡(加須市)に住み着いた鳥海亀吉は、利根川の大洪水の際、干飯を蒸し、きな粉に甘味をまぶし、棒状にした菓子に五菓棒と名付け、文化年間(1804~1817)に売り始めた。不動岡総願寺門前には老舗がある。
熊谷以東地域、特に加須市周辺での主要説となっている。鳥海亀吉は加須(不動岡)五家宝の祖と称されている。

■第3章 五家宝の語源(地名説・数量説)

「五家宝」という名称の語源にも諸説ある。地名や数量などを語源とする説があるほか、それぞれの経緯は五家宝の製法や由来とも深く関わるものである。
江戸時代後期の狂歌師で蜀山人という名で知られる大田南畝(なんぽ)は、随筆に「五荷棒」と記したように、古くは「五箇宝」「五荷棒」などと表記された。現在では「五家宝」「五嘉宝」の表記が多い。
五箇村と五霞村のように地名が由来となった説のほか、上州では、米・大豆を原料とする干菓子が江戸時代から製造販売され、「一荷棒」と称し、その5倍大のものを「五荷棒」と称した説
                      がある。

一方、主要説の一つとして、熊谷宿の水戸屋が、長さ3寸の「一ケ棒」といわれていた干菓子を大型にし、「五嘉宝」と名付けたという伝承と、直径1寸、長さ3寸くらいの菓子で、1本を一箇棒、2本を二箇棒、5本を五箇棒としたという説がある。
水戸屋4代目の水野市三郎が、独自製法を生み出した五家宝には、五穀(米・麦・豆・粟・黍または稗)を使用し、「五穀は家の宝である」として、五穀豊穣を祈念したとされる。実際は、五穀のうち、米、麦(麦芽糖=水飴)、豆(大豆=きな粉)が主要原
                      料となる。

■第4章 五家宝と熊谷

「五家宝」の起源や語源には諸説あるが、五家宝を全国区の銘菓とした発祥地は熊谷である。
銘菓として定着し発展していくには、原材料や流通ルートの確保が必要となる。これについては、中山道熊谷宿を起点にした江戸及び信州方面との交通の要衝であること、荒川・利根川の舟運利用が関係している。また、五家宝製造に向けた原料の供給が可能であること、川の流れや湧水を生かした稲作と麦作の農村・耕作地帯が付近に広がっていたことなどが、五家宝製造の原点を支えた。

渓斎英泉 (1791–1848)「熊谷宿八丁堤景」

五家宝と熊谷 ―古くから地理的利点の中で―
江戸時代には中山道の宿場町として栄え、市(市場)が開かれていた熊谷では、良質の米がとれ、田畑では大豆が作られており、二毛作地帯の利点を生かし、小麦のほか、水飴の原料となる大麦が多く生産されていた。
また、五家宝の原型となった干菓子は、現在の風味とは程遠かったと伝わる。 明治45年(1912)に刊行された酒井天外『熊谷百物語』には、「昔は駄菓子で《粉ぬか》を付けて一山百文的のもので随って製法も頗る幼稚であった」と記されている。

五家宝と熊谷 ―五家宝の近代化と玉井―


天保年間以降(1830年代~)、玉井村生まれの清水庄次郎や高橋忠五郎が従来の五家宝に改良を加え、近代化したその製法を広めたとされる。(「旧埼玉県民俗文化センター報告資料」)
高橋忠五郎の店で修業した水野丑松(水戸屋5代目)は、従来の手法を改良し、現在のように延ばしてから切る手法を考案した。その一方で、高橋の店で修業した風間浅五郎(風間堂の祖)は、蜜の煮詰め方や貯蔵を工夫改良し、五家宝の年間製造を可能にした。

水戸屋
(「五家宝」登録商標:早稲田大学図書館蔵)

五家宝と熊谷 ―全国区への道とブランド化―
明治時代半ば以降、五家宝は全国区の知名度を誇るようになった。明治16年(1883)に高崎線が開通すると、水戸屋は、「熊谷停車場特設販売品」として五家宝の駅売りを開始した。
『熊谷百物語』には、「販路は全国一円に渉り、清韓諸外国より続々注文」「熊谷町に於ける一ケ年の五家宝生産高は約十万円」と当時の盛況ぶりが伝えられている。戦後、五家宝は埼玉を代表する銘菓としてブランド化。最盛期の昭和30年頃には30軒以上もの市内業者があり、その中で水戸屋の販売額が大半を占めていた。

川端康成と五家宝


川端康成が五家宝について記した書簡

1968年、ノーベル文学賞を授賞する直前の川端康成が、埼玉県立熊谷中学(現在の熊谷高校)出身で後に同校教師を経て、文芸編集者となった竹田博氏に送った書簡がある。「熊谷からの五家宝おめぐみありがたく拝受いたしました。好物ですので賞味させていただいております」と記している。

■第5章 五家宝の製法

(出典参照:「旧埼玉県民俗文化センター報告資料」)

 せいろで蒸す
 もち米を粉にひき、水でこね一晩水につけて
 から蒸す。

(1)夕ネ(おこし種)を作る
●せいろで蒸す:
 もち米を粉にひき、水でこね、一晩水につけてから蒸す。
●餅をつく:
 上白糖を加えながら餅つき機でつく。機械化されている場合
 が多い。
●餅をのばす:
 つきあがった餅をのし棒で1~2ミリの薄さにのばす。
●切断する:
 乾燥機に入れて一晩寝かせた餅を適当な幅に切り、切断機で
 1~2ミリ角に砕く。
●煎る:
 砕いた餅を米粒の1/3~1/4くらいの大きさにしてから回転ガ
                      マで煎り、あられにする。真珠のような輝きの丸い粒となる。

煎った大豆と製粉機

(2)きな粉(黄粉)を作る
五家宝の風味や外観を整えるきな粉の原料は、普通の大豆または青大豆が使用されている。大豆を煎って、製粉機ですりつぶす。煎り加減が風味に影響するので、業者によってその程度が異なり、風味に差が出るといわれる。

 タネ用の蜜
 蜜はその日の作業量に合わせ毎日新しいもの
 が作られる。

(3)砂糖蜜を作る
黄粉生地に用いるものと、タネに用いるものの2種類の砂糖蜜を作る。グラニュー糖、上白糖、水飴を合わせ、黄粉用には弱く、夕ネ用には強く煮詰める。煮詰め加減や配合は季節によって異なる。

(4)きな粉生地を作る
製粉したきな粉に砂糖蜜を加え、機械でこねる。耳たぶ程度の硬さになった生地は、1回分量ずつまとめ、のし棒で延ばす。




(5)夕ネ(おこし種)をこねる
こね桶に夕ネを入れ、蜜を合わせ、桶をゆすりながら、しゃもじで手早く混ぜる。こねつけたタネを作業台に広げ渋団扇で風を送りながらさまし、一回分量ずつまとめる。




(6)仕上げる
棒状に整えたタネを薄くのばした黄粉生地の上にのせ、包み込む。手粉を振りながら、のし板(より板)で転がして延ばし、若干の冷却後、ピラミッド状に積み上げ、包丁を用いて端から適度な幅で切る。

■第6章 五家宝作りの道具

五家宝作りには多くの道具を要さず、餅つき機、製粉機なども戦前には既に開発され、職人の負担軽減も見られた。
その一方で、蜜の調合加減やこね方、延ばして切る工程など、職人の勘と経験が頼りとなる側面が多い。
特徴的な道具には、渋団扇やシャモジのほか、のし板(より板)、切断に用いる歯の薄いヨウカンボウチョウ、太さをはかるウマ、長さをはかるサシ(ものさし)などがある。

■終章 100年フード「五家宝」のこれから

「五家宝コンソーシアム宣言」

五家宝の店舗をマッピング(地図化)し、熊谷地域・市内散策の名所として紹介することで、熊谷の産業振興や街おこしの方法をアレンジメントする地域資源とすることができることが考えられる。
今後、五家宝の各店の伝統を継承するとともに、五家宝の意義や価値を発信し、世代を越えた全国的な認知度を高めるための方策を企画・実践する計画である。
江戸時代から続けられてきた五家宝作りの文化が、現代まで継承されていることを奇跡と捉え、その努力と試行錯誤への敬意を共有することを目指している。「100年フードから1000年フードへ」「熊谷銘菓から日本銘菓へ」という食文化の継承に向けて、郷土の自然食としての五家宝の新たな可能性を再認識することが求められている。

■主要参考文献・出典

沢田豊行著『熊谷の五家宝』(昭和45年)
熊谷図書館『熊谷名物考』(昭和33年)
鈴木宗康著『茶の菓子』(昭和54年)
「埼玉県の諸職関係民俗文化財調査票」より五家宝(昭和61年熊谷市、埼玉県民俗文化センター)

画像提供:熊谷市・文化遺産研究会・ワタリドリプロジェクト・各店舗

■熊谷市文化遺産研究会

お問い合わせ 熊谷市立江南文化財センター 電話番号:048-536-5062
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作成日:2022/07/29 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹