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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第39回 2つのあばれ神輿

出来島あばれ神輿のクライマックス

祭り好きの男たちが夢中になる豪壮な祭りが、妻沼地域には2つあります。
出来島八坂神社の祭礼と葛和田大杉神社の祭礼です。
2つの祭りは天気に恵まれすぎて、見学する側も暑さに参ってしまいました。
特に、葛和田大杉神社の祭礼は40度に迫る気温で、利根川に担ぎ込む予定時間が変更されるほどでした。
祭りの当事者の皆さんは、さぞ疲れた事でしょう。
今回は2つの祭りを取り上げます。

■利根川と出来島・葛和田地域

明治末期の大杉神社附近図

利根川に接する妻沼地域の集落は、上流から間々田・出来島・台・妻沼・善ケ島・大野・葛和田・俵瀬があり、利根川と共に歴史を刻んできました。
出来島の地名は、いったん洪水になると、村が水面に浮かぶ島のようになることから付けられたといわれてきました。
岡田定雄氏にまとめられた「大杉様由来」のイラストの一枚(明治末期の大杉神社附近図)に、現在の利根川堤内に大杉神社をはじめ集落があったことが描かれています。

*大杉様由来 発行・編集 岡田定雄 筆書・画 尾沢富雄 昭和59年発行熊谷市立妻沼図書館蔵

利根川は常に氾濫し、村落の境界は常に変動していました。2つの地域は、利根川の氾濫と闘いながら共存し、2つのあばれ神輿はその証なのかもしれません。

■出来島あばれ神輿

世良田八坂神社の神輿庫

<祭りの由来> 出来島のあばれ神輿は、八坂神社祭礼行事で、平成27年は7月19日に行われました。
神輿に物語があります。連続堤が築かれるまでは、現在の群馬県利根川沿いの集落は、舟を移動手段していたことから隣の村であり、経済活動や地域文化の一帯感があったと思われます。
世良田(現群馬県太田市)の祇園祭り(八坂神社)は、400年以上の歴史を持ち、利根川対岸の住民もこぞって見学に出掛け、周辺の地域は、祇園祭の影響を受けてきました。
世良田の祇園祭りに担がれる神輿が新調された際に、古い神輿を出来島に譲渡すことが決まり、神輿を利根川に流して、出来島河岸で引き上げたことから、祭りが始まったといわれています。

■出来島の神輿

出来島の神輿

神輿の歴史は古く、奈良時代に原型があるといわれていますが、現在全国各地で担がれている神輿は、江戸時代後半であるといわれています。
神社の社殿が彫刻などで豪華に飾られるのは、妻沼聖天堂の例のように、江戸時代中期以降のことです。神輿の形は神社の社殿を模しています。
そして、競い合うことから、豪華な飾りの神輿が次々と作られ、祭りの中心となってきました。
しかし、出来島の神輿は、美しさよりも頑丈さを強調したシンプルなつくりです。荒々しい暴れ神輿に相応しいかもしれません。

古い神輿は昭和9年まで使われ、以降地元大工高野次三郎製作の神輿が、現在まで使われていると、「埼玉の神社」出来島伊奈利神社の項に記されています。

■出来島の神輿の渡御

河原の巡行

伊奈利神社を出発し、集落内を渡御した後、利根川の土手を進み、旧社殿があったと思われる参道を通って、川の中に入ります。
今年は雨の後で増水しているため、見学者が心配していました。事前に水深を測り安全確保をしていると、祭りの関係者の談。
いよいよクライマックスの水面に神輿を垂直に立て、その上から飛び込むという祭り人の勇壮な姿を見ることができます。
川の渡御は、災厄を水で祓い流す神事といわれていますが、なぜ、神輿を水面に垂直に立て、その上から次々と川中に飛び込むのか、ちょっと不思議です。葛和田のあばれ神輿と異なる神輿洗いに興味が湧きます。

■葛和田のあばれ神輿

大杉神社社殿

祭りの由来 葛和田の暴れ神輿は、熊谷市指定無形民俗文化財となっています大杉神社祭礼行事です。
明治43年の利根川の大洪水の後、神明社に合祀され、神明社社殿西側に大杉神社社殿はあり、神輿庫になっています。
社殿長押に御神面(天狗面)が取り付けられ、茨城県稲敷市阿波に鎮座する大杉神社総社の神体を勧請したことを示しています。

■大杉信仰

大杉神社総社社殿

茨城県の大杉神社総社の創建は古く、幾つかの伝承があります。日光二荒山を開いた勝道上人が開創、伝教大師最澄の弟子大杉信仰の快賢により別当寺安穏寺開創、源義経に随行した常陸坊海尊の天狗の霊験談があり、①暴風雨による難船を防ぐ霊威がある②疱瘡の流行を防ぎ、疫病を治す霊験があり、天狗面が病魔を追い払う霊威があるといわれ、信仰されてきました。
特に、江戸時代中期から後期にかけて大流行し、江戸をはじめ関東一円に大杉大明神が勧請されました。
葛和田の大杉神社の伝承も利根川舟運の盛況時に、船頭達によって祀られたといわれています。

■葛和田の神輿

葛和田の神輿

現在の神輿は江戸期末から明治期はじめ頃に作らたようで、数度の修理が繰り返されてきたものです。屋根の下の長押、木鼻の彫刻も見事で、華麗で荘厳な作りになっています。

■祭りの準備

神輿の移動

朝から神輿の準備は進められていて、新調された担ぎ棒と台が取り付けられていました。総重量は約1.5トン。
担ぎ棒の本数で、区分されていますが、台輪の穴をとおり前後方向に2本の棒だけついた2点棒という形が、一番シンプル。担ぎ手を増やす4点棒や6点棒などがあります。葛和田の神輿は2点棒の形で狭い集落内の巡行に合っています。
準備の整った神輿を神明社社前に移動させるだけでも大変。前後2本の担ぎ棒に6人ずつの計24人で、やっと動かしていました。
ご神体が神輿に移され、明日の祭りの準備が整います。昭和20年代後半までは、神輿に移された神霊を守るため、一晩中見張り番をしていたようです。

■葛和田の神輿の渡御

川の中の力比べ

巡行のコースは、午前6時に神明社を出発~大野の伊奈利神社(昼)~利根川河岸~俵瀬伊奈利神社~午後6時に神明社に戻り(宮入)ます。
利根川の河岸(渡船場)まではトラックで移動、川の中に運び入れます。今年は水嵩があって、神輿の屋根の部分が水面に出ている状態でした。
神輿の屋根に四方からよじ登り、体を大きく動かしながら揉みあいます。落とされた側からは再びよじ登り、力比べするというものです。


これも神輿の神霊を奮い立たせて、地域内に侵入する厄病を追い払う神事なのでしょう。

■まとめ

今年も猛暑の中で、妻沼地域だけでも7月第一日曜日から始まり、8月1日のめぬま祭りまで5週連続で、祭り人は燃えていました。
2つのあばれ神輿は、古くからの神事を守り、それを継承していることに頭が下がる思いでした。次世代に引き継がれることを期待しています。

<参考資料>
・埼玉の神社 埼玉県神社庁神社調査団編 平成4年7月発行
・葛和田のあばれみこし 熊谷市教育委員会 平成19年3月発行
・アンバ大杉信仰 大島建彦編著 岩田書店 平成10年3月発行
・江戸神輿 小澤宏之著 講談社 昭和56年5月発行
・ウィキペディア(Wikipedia)

作成日:2015/08/08 取材記者:mhennmi