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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第35回 祈りの形 絵馬その2

東松山馬頭観音絵馬市

わずかに続けられている絵馬市に、2か所出会うことができました。
1月18日の熊谷市石原の東漸寺、2月19日の東松山市の上岡観音の祭礼です。ともに古くから続くオリジナルの絵馬を店に並べています。絵馬市といっても、残念ながら共に1軒の絵馬屋となっています。
2か所とも「馬頭観音」信仰の観音堂の縁日です。民間信仰としての馬頭観音の人気は、馬と共に生活する人々が、農家では農耕馬、産地では生まれてきた仔馬の無病息災を願い、陸上運送の盛んであった江戸時代には、馬を使う人たちが道中の安全を祈ったことでしょう。
人と動物、祈りの形は様々です。

■東漸寺観音様の縁日

東漸寺観音堂

熊谷市石原の東漸寺は、馬頭観音を祀る観音堂があり、観音様の縁日が1月の第3日曜日(今年は1月18日)に行われています。熊谷市内で唯一観音様の日に絵馬を売っている光景を見ることができます。
熊谷市郷土文化会誌掲載の「熊谷市内の絵馬市(平井加余子氏)」の記述に、盛んであった観音様の縁日と絵馬市の様子が窺えます。
 東漸寺は天正3年(1575)開基といわれる古刹で、かつては旧秩父街道まで参道が真直ぐに通っていました。縁日には参道両脇に露天商が並び、奉納芸能もおこなわれ、馬を連れての参拝者で賑わい、堂の周囲の草地で駆け回っていたと、あります。
絵馬屋は戸板の上に六寸の小さい絵馬や一尺二寸の大きな絵馬を並べて販売し、昭和40年初め頃まで出ていたと書かれています。
*六寸の絵馬 横幅18㎝ほど 一尺二寸の絵馬 横幅36㎝ほど

■絵馬市の復活と手描き絵馬

手描き絵馬

東漸寺の縁日は、熊谷市ホームページに紹介されていました。
「熊谷市内の絵馬市(平井加余子氏)」の記述で、復活したのが昭和52年とありました。
どんな絵馬屋が出ているのか、興味津々でした。
山門脇に観音堂が建ち、祭礼のための関係者が集まっていました。絵馬市は観音堂の奥、本堂手前に出店していました。
古くは寺の戸板を借りて、絵馬を並べて販売していたようで、現在はベニヤ板に並べていました。絵柄は「馬」が中心ですが、干支の絵柄も用意されています。
「すべて手描きです。もう40年近くなる。上岡の観音様にも出さないかと誘われている」と話していました。

絵馬は奉納後お焚き上げしてはもったいないような、丁寧な描写で美術品として鑑賞できるものです。その場で祈願事項を書き入れるので、持って帰る人が多いと言っていましたがそのとおりです。
1つ記念に購入してきました。
横幅31㎝縦幅24㎝です。板の木目が魅力的です。

■上岡観音の例大祭

上岡観音盛時を伝える奉納幕

上岡観音は東松山市岡地区の曹洞宗妙安寺の管理する観音堂で馬頭観音が祀られています。
毎年2月19日が例大祭で、馬頭観音としては関東地方随一の霊場といわれ多くの参拝者で賑わっていました。
最盛期の昭和27年(1952)には参拝者20万人、参拝者が引いてきた馬の数が千頭、絵馬を扱う店が百軒も出たと伝えています。そして、当時の絵馬の製作枚数が1万枚を超えたことが記録されています
最大級の絵馬市を支えてきたのが、熊谷市久下地区の絵馬師でした。


絵馬講や絵馬師のことは、東松山市教育委員会が、平成13年にまとめた「東松山上岡観音の絵馬市の習俗」報告書に詳しく載っています。
絵馬を販売する組織として明治時代に始まった絵馬講。絵馬講は代表の帳元、その下の世話人と講員で構成され、講員は絵馬を描いて売る「問屋」と売るだけの「売り子」が講員です。明治時代に講は始まり、昭和63年まで続いたようです。

■伝えて欲しい絵馬市

展示されていた絵馬

出店していた絵馬屋さんと会話をしながら写真撮影をしてきました。販売用ではなく参考品として、盛時を伝える絵馬が展示されていました。
上岡観音の絵馬のサイズや図柄は統一されていたようです。
絵馬の種類は、馬が杭に繋がれた花馬(飾り馬)で鞍の上に花柄の腹帯で大きく蝶結びにしてある。すべて左向き、下を向いた形態。家畜としての馬を表現したもの。馬にはタチ(静かな馬)とハネ(暴れ馬)の2種類。毛色は7色。ツナ(つなぎ馬)と呼ばれる七頭立てのもの。
やはり現在も主流の図柄の花馬でタチの物が並べられていました。

絵馬講の半纏を着ていたので、写させていただきました。
盛時の様子を伝える絵馬屋に出会えたようです。
絵馬研究の第一人者の召田大定氏(熊谷市出身)は「絵馬巡礼と俗信の研究」の中で、次のように述べています。
「絵馬は民族芸術の一端としても又民間信仰の上にも重要な役割を果していることを知った。一体、絵馬の史的変遷や伝承的視察を試みる事は、過去と現在の関連を知る上にも、又文化と俗信とを結び付けて考える場合にも、或は自然と人生といった接触関係の上に就いても、絵馬は如何にしても無くてはならぬ存在である」

*参考
・東松山上岡観音の絵馬市の習俗 東松山市教育委員会編集発行 平成13年3月刊 熊谷市立熊谷図書館蔵
・増補絵馬巡礼と俗信の研究召田大定著 昭和51年7月刊 埼玉県立熊谷図書館蔵
・熊谷市郷土文化会誌46・58・59号 熊谷市立熊谷図書館蔵

作成日:2015/03/17 取材記者:mhennmi