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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

最終回 木曽義仲の嫡男義高の伝説

木曽義高の墓(佐野市山形町御所ノ入)

平成23年(2011)1月25日にスタートした「妻沼聖天山界隈」のシリーズも50回目となりました。50回を目標に続けてきましたので、今回を最終回としました。
このシリーズは妻沼聖天山聖天堂の平成大修理を終えて、いよいよ公開となることに併せてスタートし、地域の活性化の盛り上がりを少しでも応援しようと始めました。
シリーズを続けるためには、常にテーマを探さなければなりません。妻沼聖天山とその周辺と範囲を限ったことで、テーマが見つからず悩みました。
何とか50回は達成しようと、取材範囲を広げたり、シリーズに関係のないような記事で埋めたりと四苦八苦でした。
そうした記事内容にも拘わらず、閲覧者の方々からの問い合せや「くまがやねっと」のスッタフ皆さん応援のお蔭で、最終回を迎えることが出来ました。
ありがとうございました。
最終回に斎藤別当実盛公と深いつながりのある、木曽義仲の嫡男義高の伝説を取り上げます。

■木曽義高の伝説に出会う

そば処御所ノ入

栃木県佐野市閑馬町(旧田沼町)に出掛ける機会があり、車でのコースは、妻沼から大泉町を抜けて足利市街地に至り、国道293号で佐野へ向かいます。佐野市街地手前で国道から分かれ、県道175号から更に県道66号(桐生田沼線)に入ります。目的地佐野市閑馬まで1時間10分ほどです。
このコースの国道293号は、「足利佐野めんめん街道」といわれ、足利市と佐野市のそば、うどん、ラーメンの食べ歩きの楽しいコースとなっています。

旧田沼町に入った県道66号に小さな立て看板「そば処御所ノ入」。店名に惹かれて、そば店に立ち寄りました。
もちろんそば好きですから、出てくるそばに関心がありましたが、店名が気になっていて、すぐに女将さんに尋ねましたら、ここの地名ですよとの返事。
何か歴史的な匂いを感じました。
私の興味ありそうな態度を察してか、コピーされた資料を提供されました。
「会報 郷土文化を考える会」の2011年2月に発行された冊子のコピーでした。
「伝え聞く、田沼の地に 清水冠者義高の存在を」と題した特集記事です。

■木曽義高(清水冠者義高)の生涯

英雄百首 歌川貞秀画
(ウィキペディア「源義高」より)

清水冠者義高は、木曽義仲の嫡男。母は巴御前といわれています。
木曽義仲は、源頼朝と対立を避けるために、寿永2年(1183)に11歳の義高を人質に鎌倉に出し、両者の和議が成立しました。
頼朝の長女大姫の婿という名目で鎌倉に送られました。
この後の寿永3年1月、義仲は頼朝の追討軍に敗れ、粟津の戦いで討ち死。
その後の義高の立場は悪化し、父頼朝の義高誅殺を知った大姫は、密かに義高を逃がしますが、頼朝の追っ手に捕らえられ、入間河原(現狭山市)で討たれてしまいます。義高の死を知った大姫は嘆き嘆き悲しみ病床に伏し、それを見た母の政子は、義高を討った郎従の不始末を頼朝に迫り、その郎従の首を晒し首にしたと伝えらていす。
狭山市には、義高を祀った清水八幡宮など史跡が残さ、現在でも義高の悲話伝説を取り上げた事業が開催されています。

■佐野市(旧田沼町)に残る義高伝説

清水城址

田沼地域には、義高が田沼の地で生き延び、過ごした足跡(史跡)が各地に残り、地域の人々も義高の存在を確信してきたようです。
田沼町史に、入間川で殺されたのは、身代わりの宇野平八という者で、義高は無事に落ち延び、佐野基綱を頼って下野国岩崎村(現佐野市岩崎町)に住し、基綱から厚遇を受け、後に基綱の娘をめとり、佐野越前守義基と改めて佐野家に仕えた。晩年は山形御所ノ入に館を構え、妙法寺を建てて祖先の霊を祀ったと記述されています。
更に、承久2年(1220)、北条政子は御所ノ入の義高を訪ねて逗留したと伝えています。

早速、①義高の墓(御所ノ入り)②清水城址(市指定史跡)③岩崎八幡宮の3つの史跡を調査に出かけました。
義高の墓(御所ノ入)は、どこにも案内標識がなく事前情報を持たないと辿り着けない案内不足の状況です。
清水城址(市指定史跡 佐野市役所発行佐野市の城館跡ガイド)
安貞2年(1228)佐野国綱が岩崎義高(伝承は木曽義高)のために築城したと記されています。

岩崎八幡宮

岩崎八幡宮
文治元年(1185)佐野有綱が岩崎城を築き、同4年(1188)新たに佐野一族になった越前守義基(義高)が城主となって岩崎氏を称し、この城址に木曽義仲の守り本尊誉田別尊(ほむたわけのみこと、応神天皇)が祀られていると伝えられています。山城状の岩山に築かれた景観と彩色の施された彫刻群は歴史を感じます。しかし、佐野市の城館跡ガイドには取り上げられていません。
義高伝説について、佐野市役所文化財課を訪問し尋ねると、民間伝承の類、関心なしという雰囲気。資料の提供もなくがっかりでした。

インターネットサイトの「木曽義仲史跡・伝説一覧表」に各地の史跡・伝説場所が紹介されています。当然長野県が圧倒的に多いのですが、狭山市は4カ所、佐野市内に6カ所あります。伝説・伝承だからといって、無視するのはいかがなものかと感じました。
清水冠者の清水は地名を指しているようで、「木曽義仲史跡・伝説一覧表」に何カ所も義高伝説地がありました。

【参考資料】
 ・田沼町史
 ・会報 郷土文化を考える会
 ・佐野市の城館跡ガイド
 ・ウィキペディア「源義高」

作成日:2018/02/26 取材記者:mhennmi