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R407/R293 往来記

歴史 地域

第5回 国指定史跡「樺崎寺跡」を訪ねる

史跡樺崎寺跡(案内看板)

両毛地区(群馬県・栃木県)の中でも、太田市、館林市、足利市、佐野市は鎌倉時代から戦国時代にかけての歴史遺跡がたくさんあります。
今回は、足利市樺崎町にある国指定史跡「樺崎寺跡」に立ち寄りました。
国道293号線は、渡良瀬川を渡ると足利の中心市街地に入ります。足利学校、鑁阿寺を左手に見て進みます。北関東自動車道足利IC入り口を過ぎて、樺崎地区に入ります。樺崎地区は佐野市に接し、越床トンネルを抜けると佐野市に至ります。
熊谷と佐野の行き来には、必ず通るコースで、樺崎地区にある農産物販売所「北の郷」は食材調達に利用しています。この北の郷農産物販売所300mほど先に、国指定史跡「樺崎寺跡」と樺崎八幡宮があります。
今回は足利源氏のゆかりの寺を取り上げます。

■鎌倉時代の創建の樺崎寺

整備された浄土庭園

樺崎寺は、足利市樺崎町にあった足利氏ゆかりの寺院です。
12世紀半ばに足利氏の祖、源義康が現足利市の鑁阿寺の地に、居館を構えたのが始まりで、2代足利義兼(源義兼)創建の寺と伝わります。
(鑁阿寺も足利義兼が持仏堂を建てたことが始まり。鑁阿は義兼の号)
足利義兼は源頼朝のいとこであり、正室は北条政子の妹時子ですから、義兄弟でもあります。

樺崎寺は鎌倉、室町時代を通じて足利氏の廟所として、浄土庭園を中心とした主要伽藍が配置されていました。
足利幕府を開いた足利尊氏は、一度も足利源氏の廟所を訪れていないと伝わりますが、幕府の庇護下、寺院は隆盛をみました。
明治の神仏分離令により廃寺になってしまったことは残念です。

■樺崎寺跡発掘調査  

多宝塔跡(写真奥に樺崎八幡宮)

足利市は、廃寺となていた樺崎寺跡を昭和59年から発掘調査を開始し、平成13年(2001)には国指定史跡に指定されます。
以後、記念物保存修理事業として実施され、平成28年度に浄土庭園の園地が復元され公開されました。
現在、庭園内を散策できます。
文治5年(1189)の源頼朝は奥州藤原氏を攻めます。足利義兼も参戦しました。その際に中尊寺や毛越寺などに影響され、戻った足利義兼は、樺崎の地に浄土庭園を造ったのでしょう。

■編集後記

・樺崎寺と法界寺論争
 樺崎寺跡の情報収集をしていて、困ったことが起きました。
 ①樺崎寺は通称であり、歴史的記録上では「法界寺」である。
 ②鑁阿寺が上御堂で下御堂は法界寺である。
 足利市に対して、足利市仏教界有志の方々が「法界寺」が正しい名称であるとの意見書が出されていました。
 この意見書を読むと、「法界寺」説が優位に感じたのですが、足利市教育委員会は、そういう意見もありますが
 と曖昧な返答。
 頂戴したパンフレットのタイトルに「史跡樺崎寺跡(法界寺跡)」と記載されていますが、法界寺の説明はさ
 れていません。
 何か釈然としないままで、まとめた記事になってしまいました。

作成日:2019/02/26 取材記者:風神雷神荘主人