熊谷チャリティーウォーク

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第4回 熊谷チャリティーウォーク 見どころ紹介

■高城神社

高皇産霊尊(たかむすびのみこと)を祀る神社で、「産(むすび)」の名のとおり「縁結び」「安産」、「家内円満」「営業繁栄」の神様として崇敬されています。

高城神社の詳細については、熊谷マップ「高城神社」の記事をご覧ください。

■千形神社

千形神社は陣屋跡の隣にあり、「お千形さま」の愛称で親しまれています。
祭神はニニギノミコトのほか二神あり、銅鏡をご神体としています。(創立年月は不明)
江戸時代末期から昭和の初期まで、八幡講という草相撲が盛んで、毎年10月1日に千形神社でも行われてきました。
現在、土俵は無くなってしまいましたが、奉額は残されています。
当時は、熊谷力士会が勧進元となり、各地から力士が集まって勝負を競っいました。

■ 奴稲荷

熊谷寺の山門の東隣にある稲荷神社が、通称「奴稲荷」と言われている社である。江戸末期、歌川豊国が錦絵「中山道熊谷宿熊谷寺子育奴稲荷社之図」として歌舞伎役者・団十郎の姿を描き、有名になった。奴稲荷は別名・弥三左衛門稲荷とも言うが、それは熊谷次郎直実が戦場にありし時、弥三衛門と名乗る者がどこからともなく現れて加勢してくれたことから、稲荷の化身と思った直実公が館内に祀って信仰したという話からきている。
また病弱な子どもが丈夫に育つように祈願して、弥三左衛門稲荷の家来(ヤッコ)として一定期間勤めさせる行事があった。子どもの両ビンの毛を奴のように残して勤めに入り、無事に年期が終ると両ビンの毛を切って社前に納め、御礼をしたという。この年期中はご家来にしたのだから、親も勝手に子を叱ることができなかったという。
この社は直実公にまつわる逸話を伝える社で、さらに熊谷の子育て習俗と結びついた社であったから、かつてはお百度参りもあり、市内外の厚い信仰を受けていた。幕末までは熊谷寺境内にあったが、明治2年に鎌倉町の愛宕神社内に遷し、明治31年に現在地に遷された。

※熊谷の昔ばなし(熊谷市立図書館刊)より抜粋
 郷土の雄・熊谷次郎直実展 資料  直実 連生11話

■熊谷寺

浄土宗寺院の熊谷寺(蓮生山当行院)は熊谷直実(法名蓮生)出家後、元久2年(1205)に彼の旧居に蓮生庵として創建したと伝えられています。

熊谷寺の詳細については、熊谷マップ「熊谷寺」の記事をご覧ください。

■旧中山道跡(八木橋百貨店)

1989年の八木橋百貨店改築に際、旧中山道を遮断する形で建物が建築されました。そのため、店内1階の、当時中仙道が通っていた位置に通路を設け、かつての道のりを今日に残しています。
八木橋百貨店東・西口には中仙道跡石碑があります。

■熊谷さくら運動公園

昭和45年より、市民のスポーツ・レクリエーション施設として親しまれている総合運動公園です。
アクアピア(屋内プール)や野球場、テニスコート、陸上競技、サッカー、弓道、相撲などを楽しめるスポーツ施設と、子供広場や多目的広場、日本庭園などがあり、幅広い年齢層の方が1年間を通じて様々なスポーツを楽しむことが出来ます。

陸上競技場は、3月下旬に開催される「さくらマラソン」の会場でもあります。

■星渓園

星渓園は、竹井澹如(たけいたんじょ)翁が別邸を設けた慶応年間から明治初年にかけて作られた回廊式の庭園です。元和9年に起きた荒川の洪水で星渓園の西片にあった土手が切れてできた「玉の池」を中心に、竹林を植え、名石を集めて造られました。「玉の池」は清らかな水が湧き出ていたことからこの名で呼ばれ、星川の起源でもありました。

星渓園の詳細については、熊谷マップ「星渓園」の記事をご覧ください。

作成日:2015/02/02 取材記者:くまがやねっと管理人