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熊谷市文化財日記アネックス

歴史 地域

横間栗遺跡 ―米作りのはじまり―

1号再葬墓

熊谷の米作りは、いつ、どこで始まったのでしょうか。
昭和62年、西別府の衛生センターの建設に先立って横間栗遺跡の発掘調査を行いました。その結果、13基の再葬墓(さいそうぼ)と71基の土坑(どこう)がみつかり、弥生時代前期から中期にかけての墓域であることが分かりました。このうち1号再葬墓を含む最も古い一群の3基は、大型の壷が単体で土坑に立てられた状況で検出されました。それぞれが再葬墓群の南端に位置し、別府沼に最も面しています。再葬墓はその後、中期にかけてこの北に作られるようになっていきました。

1号再葬墓(大写真)は、径85×75㎝、深さ65㎝の規模をもつ土坑の東側に単独で大型の壷が直立して検出されました。大型壷の中を見ると、そこには長管骨の腓骨、脛骨、大腿骨、そして肋骨が立てられて入れられていました(小写真)。後で調べてもらったことですが、同じ部位の骨が無く一人分であることが確認されています。また骨の全体が華奢であることから女性人骨と考えられるとされています。骨に焼かれた形跡はありませんでした。他に打製石斧(だせいせきふ)も出土しており、群中では最も古い様相を示しています。末裔たちの米作りをじっと見つめ、その頼もしさに満足していたのかもしれません。

■横間栗遺跡 ―米作りのはじまり―のスポット写真

1号再葬墓 大型壷の中
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■横間栗遺跡 ―米作りのはじまり―の詳細情報

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住所 熊谷市千代329番地
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 土曜日・日曜日・祝日・年末年始
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作成日:2018/03/08 取材記者:江南文化財センター