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熊谷・軽井沢・プラハ

地域 歴史 ~2023年迄掲載

第2回 対談「秩父と熊谷の原郷を結ぶ道―金子兜太・山下祐樹」

金子兜太邸「熊猫荘」での対談(2017年12月19日)

2017年12月19日、熊谷市上之の金子兜太氏自邸「熊猫荘」において対談した内容について記したい。
対談では、その当時完成して間もない『熊谷ルネッサンス』の感想を語り合いながら、「原郷」として捉える秩父と熊谷に想いを馳せた。この対談が筆者にとり兜太氏の生前最後の面会となった。
この対談は、山下祐樹『青鮫は来ているのか―金子兜太俳句の構想と主題―』第九章に掲載されている。

■『熊谷ルネッサンス』について

 対談した部屋から暖かな日差しを受ける庭が
 見えた。
 「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の句の
 舞台とされる。

金子 あなたの新作『熊谷ルネッサンス』はなかなかの出来ですね。このような本は熊谷にはなかったですね。欲しかったがなかったという感じがします。若いあなたの文章に、私の俳句が加わることで、良いまとまりになったのではないかと思いますね。幸いにも共著として完成しました。
山下 ありがとうございます。この本は埼玉新聞に連載していた記事をベースに、詳しい解説などを大幅に加筆をしました。その作業の中で、私も関わらせていただいた先生の「熊谷の俳句」を是非加えたいと勝手ながら考えたわけです。
金子 もう少し多くの新聞などで取り上げてもらってもいいと思うな。選者をやっていた朝日新聞や、俳句の角川出版にもお声掛けすると良いでしょう。金子が褒めてたと。金子に会ったらここへ持って行けと言われたと。嘘だと思うなら金子に電話してごらんとね。

■熊谷を知ること 伝えること

熊谷市指定有形文化財「根岸家長屋門」を
前にした金子兜太氏と筆者
(2016年4月4日撮影)

山下 「熊谷の俳句」の句碑が完成し、その後、句碑を巡るバスツアーがありましたね。先生もバスに同乗され、私もガイドとして参加しましたが、その時の車中での対談でも、熊谷を知ることの意義を感じたところです。
金子 歴史だ、地域の文化だといっても難しいことが多いが、あなたのは分かりやすく、おしゃべりのような語り口が良かった。知っていても語らずに自分の中に入れておくだけではあまり意味がない。実に大切なのが、やはり学んで、表に出すということなんです。余談だが、バスツアーであなたが説明していて、あの人は誰だって言う人がいた。「山下さんだ」って。名前は平凡だけど人物は平凡ではないよって言う人もいましたね。

山下 恥ずかしながら、ありがとうございます。
金子 話すこと、書くこと。それは似ているのかも知れないが。
山下 『熊谷ルネッサンス』では一種独特の方法論の上に立っているのかも知れません。
金子 その場所の歴史を知る上では教科書のような本では駄目で、針の穴のような狭いところから物事を見るのではなく、このような幅広い視野に立ったものが必要だ。そしてセンスも大事。それは軽妙なガイドと同じなのでしょう。
山下 いかに伝えるか。本を通じて見えてきたような気がしています。熊谷を知る、学ぶ、そして伝えるという過程を改めて探究し、今後に生かしていけたらと思います。
金子 今や専門的で閉じこもったものという時代は終わった。大衆性を持って深く広くということなのでしょうな。

■秩父と熊谷

金子 熊谷を知る上で、私にとって重要な意味を持っているのが秩父。それは俳句であれ、郷土の歳時記であれ、同じです。
山下 偶然にも本の終わりに「熊谷から秩父へ」という章で、熊谷と秩父の関わりのようなことを書きました。森田恒友という熊谷の画家がいて、度々、秩父を描いています。秩父往還もありますし。熊谷と秩父は昔から人の流れがあり、頻繁に行き来していた歴史があります。
金子 私は俳句だが、若い時には短歌もやろうとして、師事したのが斎藤茂吉です。関係無いようで、母親の生まれが秩父だったから、茂吉は秩父で何度か講演をしていた。今も秩父には茂吉の顕彰をしている人たちもいる。存じ上げないかも知れないが、大相撲で若秩父という力士もいた。彼は母さんと一緒に頑張ったんだ。そうした人物を掘り起こす必要がある。
山下 一般的に通用している歴史の中には見えてこない人々の動静や成り行きも重要であるということですね。熊谷と秩父との繋がりを感じながら、色々調べてみたいです。
金子 熊谷もいいが秩父もいい。原郷ともいうが、あなたのようなやり方で秩父について書いている人がいないから。あなたが若いタッチで書いてください。
山下 なかなかの課題ですが精進します。普段の文化財の仕事とは別次元で、自身のライフワークのような感じで進めていけたらと思います。秩父となると更なる学びが必要ですが。秩父と熊谷を結ぶ道、原郷を繋ぐ道をテーマに論考したいなあと考えています。
金子 道に目を向けるのは背負っている運命を大切にすること。それは文学史の流れのようなもので。誰彼がどうとか言うかも知れないが、自由に書いていくといい。

■新たな対談と熊谷学

山下祐樹『青鮫は来ているのか
―金子兜太俳句の構想と主題―』
オーケーデザイン 2019年

金子 熊谷に限らず住む場所の歴史を伝えるとは何か。私とあなたでそんな対談をしてみてはいかがだろうか。埼玉新聞とかに企画してもらってもよい。
山下 そのような対談の企画をやってみたいですね。大変恐縮に感じるところですが。
金子 我々で何か新しいものを、新しい方法を、そうしたことを策略してみてもよい。私は俳句で、あなたには歴史で熊谷を発信する。話し合った内容を記事にするのも良いのではないか。とても面白いことができると思いますね。
山下 幸いにして兜太先生と語り合う機会を今までも頂き、これからの展開があることも有り難いことです。今後、私は私なりの方法でも「熊谷学」として発信していけたらと思います。一緒にやらせてください。
金子 自由に励んでください。あなたのような人を支援するのが、私の役目だから。是非これからも共に進めていきましょう。
山下 大変嬉しいお言葉です。次回お目に掛かる対談を楽しみにしています。本日は誠にありがとうございました。

■第2回 対談「秩父と熊谷の原郷を結ぶ道―金子兜太・山下祐樹」の詳細情報

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作成日:2019/08/30 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹