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地域 歴史

第5回 巡礼編 熊谷から秩父への旅路

森田恒友 「秩父路冬日」  1918(大正7)年頃 油彩

『熊谷ルネッサンス』の最終章第41章には、「熊谷から秩父への旅路」という題目を置いた。本書の執筆に向けて、著者の山下祐樹と俳人の金子兜太氏は、その交流を機に、本書の舞台である熊谷と金子兜太氏の原郷である秩父を結ぶ道への関心が高まった。それは実際上の街道だけではなく、点と点を結ぶ線としての道、歴史や文化を超えた結節点としての道程など、精神史的な側面を持ち合わせている。

熊谷から秩父へと続く巡礼の旅。秩父という地に多くの旅人は魅了され続けている。
「秩父」の名は『続日本紀』や『先代旧事紀―国造本紀―』に書かれた「知知夫国(ちちぶこく)」が発祥となっている。それ以降、知知夫彦命が祀られた秩父神社や、日本武尊が東国巡幸の際に三山高く美しく連らなる景観から「三峯山」と名付けたことに由来する三峰神社の建立など、その歴史も古い。
当地には三宝山や甲武信ヶ岳の高峰をはじめ、雲取山、三峰山、両神山などの名峰、雁坂峠や中津峡、荒川などが地域の自然美の源泉となり、また地域の産業と関連を持つ武甲山の石灰岩の山肌が秩父の印象を強くしている。秩父郡からの和銅献上された流通貨幣の「和同開珎」や、地域の養蚕と染色業との関わりから生産された「秩父絹」、「秩父縞」などの「秩父銘仙」、都市整備を支えたコンクリートなど古代から近代へ時代を超えて、多様な生産と流通が築かれてきた。秩父の地における旅人の歩みを想起する時、その中心に語られるのが「秩父札所三十四ヶ所観音霊場」などの秩父巡礼の道である。
霊場巡礼の起源は1234(文暦元)年とされ、江戸時代になると多くの庶民の信仰巡礼に基づく聖地として賑わいを見せた。秩父郡市各所の34ヶ所に所在する社寺には観世音菩薩などが祀られており、各場所への巡礼を通じて、様々な祈りや願いを込められる。それは一歩一歩の努力を積み重ねる旅であると同時に、その行程を楽しむ愉悦溢れる旅であるのかもしれない。
秩父の各地に広がる山並みや四季折々の自然、郷土の遺産となる史跡や古刹、そして「秩父人」の優しさや温かさは、巡礼の道を彩る花となり、点と点を線で結ぶ旅に光を与えるものである。
ヨーロッパにおいては、フランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を巡るサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路など聖跡の歴史と関連した道があり、古来から続く信仰の道として尊ばれてきた。こうした巡礼に触発された芸術家は多く、様々な作品が残されている。
ヴェネツィア・ルネサンスの画家ヴェロネーゼが描いた『エマオの巡礼』をはじめ、作品そのものに信仰の意図を加えるに留まらず、フランツ・リストのピアノ独奏曲集『巡礼の年』やバイロンの詩集『チャイルド・ハロルドの巡礼』などのように自身の作品世界を通して、芸術としての巡礼路を開拓する試みもある。
現代においては、リストの音楽からの影響を感じる、村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が注目を集めた。

これらは人間の祈りや願いとともに、その巡礼の道に対する憧れや希望、不安や冷静なるものを表現している。巡礼という名の芸術。それは悲愴性の中からの救いであると同時に、春の麗らかな野道を歩くように、夏の日差しと深緑の狭間を歩くように、紅葉の広がる森を歩くように、冬の凍える峠を凛と歩くように、それは寄り道を伴いながら、寄り道にこそ一つの意義を含みながら、今ここで生きることを明らかにする旅なのである。
秩父道しるべを起点として、熊谷から秩父への巡礼を想い懐く時、リスト『巡礼の年』「泉のほとりで」が響いている。それぞれの音楽を響かせ、想像を広げ、その一歩を踏み出し、新たな世界が広がる。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いと向き合う。それぞれの巡礼は人生という名の「道」と結び付いているのである。

■第5回 巡礼編 熊谷から秩父への旅路の詳細情報

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作成日:2019/12/01 取材記者:熊谷学ラボラトリー 山下祐樹