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地域 歴史

第12回 熊谷空襲と北村西望『戦災慰霊の女神像』

―北村西望と富永直樹の交流をめぐって―

■第1節 熊谷空襲の慰霊碑―北村西望と富永直樹

『戦災慰霊の女神像』

昭和20年(1945)8月14日深夜から15日未明にかけての熊谷空襲の被害があった。市街地への空襲で多くの人間が星川で亡くなった。
昭和50(1975)年8月16日、終戦及び熊谷空襲戦災30年を契機とし、熊谷市戦災慰霊碑建立奉賛会は終戦前夜の空襲で死没した266名の霊を慰め、永遠の平和を祈るため、星川上に「戦災慰霊の女神」像が建立された。この像は、北村西望氏が「熊谷直実像」に続いて、北村氏自らの手によって造られたものである。像の高さは1.725メートルである。この女神像は死没者の遺族をはじめ、多くの市民からの浄財によって完成した。
その後、昭和59年3月6日、市の「星川彫刻通り」構想の中で、「いこいの広場」の1区画東の「若もの広場」に富永直樹「新風」が建立された。このブロンズ像は、改組第3回日展で「日本芸術院賞」を受賞した代表作の一つとして知られている。
この北村と富永は共に出生地が長崎であり、師弟関係も結んでいる。二人の彫刻家のつながりは、特に互いの出生地である原爆被災地の長崎で結実されている。1955年(昭和30年)に北村が「長崎平和祈念像」を建立し、1997年に被爆50周年記念事業碑として富永の「母子像」が爆心地公園に建立された。

北村 西望きたむら せいぼう】(1884-1987)
1884年(明治17)、長崎県に生まれる。1907年(明治40)京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業、翌年第2回文展に初入選。さらに東京美術学校彫刻科に学び、1912年に卒業、1915年(大正4)第9回文展で『怒濤(どとう)』が二等賞、第10回文展で『晩鐘』が特選となった。1919年以来帝国美術院展覧会審査員、1921~1944年東京美術学校教授。太平洋戦争中には、埼玉県長瀞町の「高徳寺」に疎開をしていた。1925年帝国美術院会員となり、官展系彫刻に指導的な役割を果たした。1958年(昭和33)文化勲章を受け、その後日本彫塑会名誉会長を務める。代表作に『長崎市原爆中心地建立平和祈念神像』(1955)などがある。

富永直樹『新風』

富永 直樹とみなが なおき】(1913-2006)
1913年(大正2)、長崎県生まれ。本名、富永良雄。1938年(昭和13)東京美術学校(現、東京芸術大学)彫刻科の研究科を卒業。大学時代から北村西望に師事した。在学中の1936年に文展で『F子の首』が初入選。人体の生命の躍動感と理想像を追求した写実的彫刻が特色である。太平洋戦争中には、群馬県に疎開をしていた。1950年『殊勲者』、1951年『山』、1952年『主将』で3年連続日展特選を受賞、1968年日展に出品した『平和の叫び』で文部大臣賞、1972年『新風』で日本芸術院賞を受賞。1984年文化功労者、1989年(平成1)に文化勲章を受章。

■第2節 北村西望が富永直樹に贈呈した『北村西望彫塑大成』について

図録の外観

経緯
2015年4月、筆者が、岩手県滝沢市の古書店にて『北村西望彫塑大成』が販売されていることを発見し、本図録を購入した。購入後、販売者からは、この図録は2014年頃に東京の古書販売店より購入したものであるとのことであった。
本の入手に併せて、冒頭部に「贈主 富永直樹様」との墨書き(ペン)の直筆表記を確認。その他、図録内には頒布者に対する手紙が封入されていた。この手紙自体は複製したもので、送り先の宛名の部分は直筆で記されている。手紙を入れた封筒には、表面に「富永直樹 様」、裏面には「井ノ頭文化園 北村西望」と記されている。
その後、本図録について富永直樹氏の長男である富永良太氏(大阪府吹田市在住)に画像等を送付し、確認を行った。富永氏によると、北村西望の他の筆記録などを参照したところ、北村本人から富永に贈呈された現物の可能性が高いとの返答を受けた。本図録は、東京都新宿区にあった富永直樹邸において収蔵されていたが、2006年(平成18年)4月11日に富永が死去した後、所蔵文献・図録等については整理され、邸宅は解体された。その売買整理された中に本図録が入っていた可能性があり、所在不明だったとのことである。
この図録及び北村西望の筆記録については星川の源流となった星溪園の積翠閣ギャラリーにて展示を行った。

『北村西望彫塑大成』 の書誌概要
著者 中村伝三郎 編  著者標目 北村, 西望, 1884-1987
著者標目 中村, 伝三郎, 1916- 出版社 講談社 出版年 1976(昭和51年)
大きさ、容量等 288p (貼り込み図20枚共)肖像 ; 41cm
注記 限定版 780部 当時の価格 59000円 (税込)

■第12回 熊谷空襲と北村西望『戦災慰霊の女神像』のスポット写真

図録の扉部分に記された筆記録
(ページ内には1枚の白カバー紙が置かれている)
同封されていた封筒の記述
書面 (全体は頒布者用に複製印刷されたもので、末尾の記名は直筆となっている)
巻末の後付
780部のうちの362部と記されている。
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主な参考文献 株式会社講談社『北村西望彫塑大成』詳細上掲 昭和51年
日下部朝一郎編著『熊谷人物事典』図書刊行社 昭和57年
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作成日:2020/09/03 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹