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橘守国『絵本故事談』第二巻「七福神」の項目の挿絵
左側「布袋・恵比寿・寿老人・大黒」(左から)、右側「吉祥天・毘沙門・弁財天」(左から)
(画像出典・熊谷市教育委員会)
コーナー名変更のお知らせ
熊谷ラボラトリーは今回からコーナー名を
「熊谷・軽井沢・プラハ」に変更し、
幅広く文化芸術をテーマに掲載していくことになりました。
奥殿大羽目彫刻西側中央「布袋・恵比寿・碁打ち大黒」「囲碁遊び」については、『絵本故事談』に登場する寿老人の存在はありません。聖天堂では、寿老人は奥殿南面東の彫刻に彫られています。なお、その彫刻に隣接する奥殿南面西に置かれた大羽目彫刻の上部に登場する「鶴」は、『絵本故事談』の「布袋・恵比寿・寿老人・大黒」の左側上部に描かれた鶴と極めて類似しています。
一方、奥殿大羽目彫刻北面東「双六遊び」においても類似点が多く見受けられます。『絵本故事談』「吉祥天・毘沙門・弁財天」では三叉戟を毘沙門を持っていますが、聖天堂の彫刻では赤肌の夜叉が持つ構図となっています。
そして共々背景に描かれた松は彫刻では登場せず、前者は桐の花と牡丹、後者は蜜柑と水仙が描かれています。これは妻沼地域において拒まれていた松ではなく、異なる花や樹木が描かれた可能性がうかがえます。
奥殿大羽目彫刻西側中央「布袋・恵比寿・碁打ち大黒」「囲碁遊び」の盤面については、『絵本故事談』においても定かに示されていません。
また、これに加えて、奥殿腰羽目彫刻西面南「凧揚げ三人」と称されている彫刻については、同じく『絵本故事談』第二巻の「紙鳶」という項目の挿絵と類似しており、唐子の位置関係と、描かれている視線が逆方向の配置になりますが、唐子の手を上げる様子は同じ印象を受けます。
【結語】
歓喜院聖天堂の奥殿の建立が進められていた1720から30年代、石原系彫刻師と狩野派絵師の協力関係によってもたらされた極彩色彫刻の技術は極めて高いものとして評価されています。彫刻全体を通して全てが『絵本故事談』などの橘守国の下絵を参考にしたとも明言できないものの、彫物の設計図となるの下絵に向けた手本が、塗り師と同じく狩野派の橘守国の絵画であった可能性は高いと推察されます。彫刻の制作過程における、下絵から彫物の下書き、彫る作業、着色(彩色の調合や彫刻表面への塗り、漆塗り作業)などの流れの中で、聖天堂着工前後の最初期の過程に関する知見になり得るのではないかと考えています。今後においても、歓喜院聖天堂彫刻の題材となった絵画についての調査を進めていく予定です。
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作成日:2020/10/13 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹