くまがやねっと情報局

くまがやねっと > くまがやねっと情報局 > バックナンバー > 熊谷・軽井沢・プラハ > 第18回 選定保存技術保持者認定に関する花輪滋實氏の技術と美

熊谷・軽井沢・プラハ

地域 歴史 ~2023年迄掲載

第18回 選定保存技術保持者認定に関する花輪滋實氏の技術と美

― 花輪滋實「表具用木製軸首製作」の技術応用と保存伝承の可能性をめぐって ―

■緒言

熊谷市在住の木工・漆工の技術者である花輪滋實氏の「表具用木製軸首製作」技術については、令和3年(2021)6月18日に文部科学大臣、文化審議会(文化財分科会)への諮問が行われ、同年6月25日の専門調査会を経て、7月16日、国の「選定保存技術」への認定が答申された。本稿では、選定保存技術の制度的枠組み及び花輪氏の木工・漆工技術に関連した技術に着目した上で、花輪滋實氏の「表具用木製軸首製作」に関する技術的特性について考察したい。

■第1節 選定保存技術と木工・漆工に関連した技術的現状

対談する花輪滋實氏(右側)と
江南文化財センターの山下祐樹

【第1項 選定保存技術の選定とは】
昭和50年(1975)の文化財保護法の改正によって設けられた「選定保存技術」の制度は、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能で保存の措置を講ずる必要があるものを、文部科学大臣は選定保存技術として選定し、その保持者及び保存団体を認定している。国は、選定保存技術の保護のために、自らの記録の作成や伝承者の養成等を行うとともに、保持者、保存団体等が行う技術の錬磨、伝承者養成等の事業に対し必要な援助を行っている。




【第2項「選定保存技術」制度確立の経緯と概要】
1960年代の高度経済成長以降、生産・生活様式・産業構造が変化、地方都市から東京に移住が拡大になった影響で、貴重な歴史・伝統が危機になった。これを踏まえて昭和49年(1974)に衆議院文教委員会で「文化財保護に関する委員会」が設置され、昭和50年(1975)5月の文化財保護法改正で、埋蔵文化財・有形・無形の民俗文化財・伝統的建造物群保存地区と並んで新たに「選定保存技術」の制度が設けられた。その後、制度改正が進み、文化財の保存のために欠くことのできない材料製作、修理、修復などの伝統的な技術は、文化財保護法による無形文化財及び無形民俗文化財に指定とも関連付けられながら保護の対象となっている。

文部科学大臣は、選定保存技術を選定し(第147条第1項)、その技術の保持者または保存団体を認定する(第147条第2項)。今日まで保存・継承されてきたものを後世に伝え、修理技術・制作技術を大事に守ることを目的としている。

■第2節 軸首製作の技法と概要

【第1項 掛軸における軸部の概要】
掛軸の軸首・軸先は、掛軸の表現の一部、装飾的な側面を意味することが多い。軸首には紫檀(したん)、檀(こくたん)、象牙(ぞうげ)や漆塗りによる用材などが使用される一方で、現在では陶磁器、ガラス、金属など、多様な素材・形状の軸首が存在している。

軸(じく)とは、掛物の軸木の左右の先端に付けられる円筒形の部材を指す。軸は、掛物や巻物を開閉する際に手指で持つ部分となる。軸は、「軸首(じくしゅ)」の他に、「軸先(じくさき)」、「軸端(じくばな)」、「軸頭(じくがしら)」と称することが多い。軸の用材は先述の他、象牙、角、唐木、花梨、塗物、陶器、玉、水晶、堆朱、堆黒、鍍金、竹などがあり、茶方では象牙または塗物や竹などが使用される。

出典:「彫美堂用語集」「軸先」

軸首・軸先における軸の形状は、「直軸(すぐじく)」、「撥軸(ばちじく)」、「渦軸(うずじく)」の三形状を基本として、補整した変形型や、多様な装飾などが加わる場合がある。

「直軸」とは、円柱形をした軸で、「頭切(ずんぎり)」、「切軸(きりじく)」と称す。「撥軸」とは、バチに似た形をした軸であり、「渦軸」とは、渦巻の形をした軸である。これらを形状の原型として、茶道・華道と付随する文化的影響などを経ながら、下図に示されるように多様な形状が継承されている。

■第3節 花輪滋實「表具用木製軸首製作」技術の特性

花輪滋實「欅拭漆羽付合子」令和2年(2020)

【第1項 花輪氏の木工・漆工の技法】
花輪滋實氏は、日本工芸会正会員に推挙された平成10年(1998)に(株)半田九清堂(東京都)からの製作依頼を受けたことを機に、軸首の製作を本格始動している。半田九清堂は、選定保存技術の保持団体である(一社)国宝修理装潢師連盟に加盟していることから、国選定技術の維持継承が図られる環境下での製作活動が行われていたことが分かる。


花輪氏の木工・漆芸は鎌倉での修行以降、研鑽を積み、多くの作品制作によって評価を高めた。木工・漆芸の作品群の特徴を抽出し、その技術の軸首製作への応用という観点について着目したい。

花輪氏の漆芸の特徴は、工芸品美術の精緻を究めた作例に凝縮されているといえる。木製の造形物の製作技術は、工芸品の枠を超えて発揮されており、その表面の漆塗りも丹念な手法で貫徹されている。それは花輪氏が積み重ねてきた製作の原点に、轆轤(ろくろ)を生かした木工と、漆の技法を用いた漆工の融合という点がある。花輪氏がこのことに最たる関心を向けながら、国内の多様な製作物品に対する調査と研究を行ってきたことの意義は大きい。

花輪氏の漆器作品は、日本伝統工芸展及び伝統工芸新作展などでの主要賞受賞など、高い評価を得ている。それらの多くは、日常生活に関連する器作品や、茶の湯などで活用される茶器関連、または華道ほか日本文化表象の一場面に利用される製作品などであり、各々の作例を概観すると、工芸美術の新作展示に重きを置いている特質がある。

このような点を踏まえた時、花輪氏の技量が今まで広く認識されてきたのは、工芸品作成の場面であったと解釈することができる。創作生活を開始して以降、いわば美術展で展示される秀逸な作品群に対する高い評価が、花輪氏の木工・漆工を象徴する特色であったと筆者は考えている。

地下を増設し縦型の上下の轆轤電動システム

【第2項 轆轤(ろくろ)加工技術の特色】
花輪氏は特殊仕様を施した電動の轆轤を用いて、その回転によって得られる均整の取れた加工を可能としている。 

木地を轆轤によって加工する歴史は古く、奈良時代に全国の国分寺に奉納された百万塔が木地轆轤で制作されたものとして現存している。当時は、轆轤は人力を用いた二人挽きの手挽き轆轤が主要な方法であったが、明治時代に入り一人挽きの足踏み轆轤となり、大正時代からは電動轆轤が用いられるようになった。このことにより、生産量が飛躍的な向上を可能にした状況がある。

花輪氏が使用しているベルト式の轆轤は、通常の轆轤工房などで使用されるものと同類型ではあるが、ベルト位置については横型の左右の動きではなく、地下を増設し縦型の上下の動きによる電動を活用している。このような轆轤の電動に関する改良も花輪氏独自の知見に基づいて行っていることが分かる。

軸首の加工は、器物の加工に比べ木地の部分が小さいことから轆轤による刻みと削りに高度な緻密さが要求される。先述した工芸品加工技術を更に熟練させた上で、軸首の造型を丹精込めて行っていることが確認できる。

工房が要する鉋などの削り器の一部

また一方で花輪氏は挽く際の鉋(かんな)の改良も積極的に行っている。多様な鉋の型と種類を用いることは、轆轤加工の原点とも推定されるが、この道具類の選択と実践は、挽き物の加工の良し悪しを左右する重要な命題である。花輪氏は自ら加工用の削り器を製作、調整するなどして、製作方法の探究を続けていることが分かる。これにより、微細な調整における作業に大きな成果を得ていることが作例からも見えてくる。

軸首制作中の花輪滋實氏

【第3項 工芸技術の「表具用木製軸首製作」への応用】
花輪氏は工芸品製作を原点に据えた上で、古来の文化財保存修復技術に必須となる軸首製作に傾注してきた。

同人製作の木製軸首は、重要文化財・絹本著色公餘探勝図巻2巻(独立行政法人国立文化財機構東京国立博物館蔵、平成11年度修理)、重要文化財・小早川家文書31巻(文化庁蔵、同14年度修理)、重要文化財・絹本著色十王図10幅(神奈川県立歴史博物館蔵、同24~28年度修理)などの修理に用いられるなど、美術工芸品の保存上、欠かせない材料を供給し、高い技術を文化財保存修理において発揮している。

国内の選定保存技術においては、美術品それ自体及びその下地を含む素材に対する補修に重きを置く技術が選定されている事例が多い。その内実を大別すると、素材や芸術技法の変遷に対する視線を前提に、歴史的な調査や精査に基づいた技術的な確立を行う保持者が存在する一方、元来は他の技量の修練に尽力する中で得た技術的な側面を他の場面で効果的に活用する傾向を有する保持者が存在する。

軸首製作という観点から、花輪氏の実践している技術的な側面は、その後者に該当すると推定できる。美術工芸品の製作技術を顕著として、その技術を軸首製作に応用していることが確かである。これに加えて、他地域の木工・漆工技術に対する知的関心や、他地域で行われている技術を参考にした上で独自の製作技術を確立しているのである。

この技術の応用という点は、曲線美や複雑な形態を念頭に置いた工芸品美術の特色を、細微で簡潔な形状の製作にいかに用いるかという課題とともにある。

この課題とは、軸首の平坦な形状に歪みや塗りの濃淡を生じさせないように加工する手法についてである。これは、工芸品全般と同様であるが、軸首部分の約5センチ以内の円筒ないし円柱という形状の細微さに由来するのではないかと考えられる。つまり、美術工芸品に含まれる濃淡や凹凸感の美を軸首制作にあたり抑制することができるか否か、小さい規模の木材に傾注できるか否か、という意識が製作者に生じていることが推定できるのである。

【第4項 結語:「表具用木製軸首製作」の伝承とその可能性】
国内における初めての選定保存技術となる「表具用木製軸首製作」は、日本古来の軸物工芸品・美術品製作の中で表具を担う一連の職人によって担われてきたが、掛軸の需要低下とともに木製軸首の生産を生業とする職人技術者は極めて少ない状況になり、一部修繕のみの関連業者に留まり、今日においては新規製作を行う技術保持者は皆無となっている。花輪氏がその重要な技術保存を行う重要な職人であり、木工・漆工家であることは自明である。

現在、掛軸や巻子(かんす)の文化継承が難しくなっている中で、花輪氏の技術伝承は意義深いものがある。それは、軸首製作などを主たる生業とした経路からではなく、美術工芸分野の技術に基づき木製軸首製作を行うという「応用」の方法によって果たされている点である。
すなわち、この応用という観点に基づき、技術を転用し、旧来からの技術保存を可能とする方法は、高度な技術力を維持するための選定保存技術における今後のあり方の一つになるように考えられる。そして、花輪氏の技術が子息の陽介氏などに引き継がれることを含めて、今後の継承事業に期待したいところである。結びに、花輪氏が製作する木製軸首のシンプルな構造の内面には、美術工芸品の探求で培った奥深い美学と応用された技の粋が込められていると、筆者は考えている。

■附論 報告「国選定保存技術保持者認定記念報告会」

熊谷市庁舎に設置した懸垂幕

熊谷市教育委員会は認定を祝し、7月28日に記念報告会「花輪滋實の世界」を開催した。花輪氏は家業の仏具製作を引き継ぎ、1982年に花輪ろくろ工房を開設。日本工芸会の正会員として美術工芸品の製作を進め、全国的な評価を高めた。90年代から、その技術を生かし、国指定重要文化財などの掛軸や巻物の保存修理にも力を注いできた。

「軸首」とは、掛軸下部の左右の先端に付けられる円筒形の部材であり、絵画や古文書の掛物や巻物を開閉する際に手を添える箇所を指し、「軸先」とも呼ばれている。

今回選定された「表具用木製軸首製作」技術は、ろくろと呼ばれる回転を生かした削り器により木製の軸首を加工し、その表面に漆塗りを行う技法で、その高度な技術力が評価された。今後は国庫補助金による保存技術の継承事業などが行われる。

報告会は花輪氏の工房がある熊谷市奈良地区の奈良公民館で開催され、約25名が参加した。冒頭、熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹学芸員が、調査報告として「表具用木製軸首製作の技術的意義」と題して講演した後、花輪氏と山下学芸員の対談「選定技術の保存伝承に向けて」が行われた。会場では花輪氏が製作した「軸首」と工芸品も展示された。

対談で花輪氏は「今までの積み重ねが国の選定技術として評価されたと感じている。今後も文化財の保存修理に協力できるよう製作を続けていきたい」と意気込みを語った。

報告会に飯能市から参加した工芸家の女性は「花輪さんの木工と漆の技術から学ぶことは多い。工芸分野に関わる県内の技術者は減少しているが、この認定が将来に向けた良い契機となれば」と話していた。報告会の様子は、動画で撮影し、後日公開される。また、熊谷市は花輪氏の登録を祝して市役所本庁舎に懸垂幕を設置した。

■主要参考文献・資料

・文化庁『文化財を支える伝統の名匠―選定保存技術「保持者・保存団体」―』2018年
・文部科学省『文部科学白書 2010』2010年
・武藤高之『月刊文化財―選定保存技術の現状と保護のあり方―「特集 選定保存技術保護の取り組み 
 選定保存技術保護の五年」』2012年
・東京文化財研究所『選定保存技術資料集―A Guidebook for selected Conservation Techniques―』
 2016年
・国宝修理装潢師連盟「国宝修理装潢師連盟加盟工房における技術と材料」
・飯塚武司『古代手工業生産における木工』2000年
・中村源一『ろくろと挽物技法』1981年
・稲垣休叟『茶道筌蹄』1816年
・日本漆工会『漆と工芸』
・岩﨑奈緒子,中野慎之,森道彦,横内裕人『日本の表装と修理』勉誠出版2020年
・荒川達『表装技術』

(摘要)
Consideration on the outline of the Conservation Techniques and the establishment of the technology
-On the technical application and preservation tradition of "Wooden Jikushu production for Hyogu" by Hanawa Shigemi- 2021.7.17
熊谷市立江南文化財センター主査(学芸員) 山下祐樹
KUMAGAYA City KONAN Cultural Properties Center YAMASHITA YUKI

■第18回 選定保存技術保持者認定に関する花輪滋實氏の技術と美のスポット写真

出典:「彫美堂用語集」
写真をクリックすると拡大します
出典:「軸先」
写真をクリックすると拡大します

■江南文化財センター

ホームページ 「熊谷市文化遺産研究会」ホームページはこちらからどうぞ。
関連ページ くまがやねっと「熊谷市文化財日記」はこちらからどうぞ。

作成日:2021/08/19 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹