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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第32回 藤田の聖天と宗像神社例大祭

山車の還御の様子

江戸時代から続く寄居の宗像神社秋の例大祭(今年は11月1日、2日)に出掛けてきました。
宗像神社は明治の神仏分離以前は、武蔵国榛沢郡藤田郷(寄居町)の総鎮守聖天宮(通称藤田の聖天さま)として、崇拝されていました。
祭りの中に、聖天信仰の形を発見できるかと思い、興味津々でした。

■宗像神社と聖天宮の縁起

新編武蔵国風土記稿の藤田の聖天宮絵図

宗像神社と聖天宮の創建の由来は、「新編武蔵国風土記稿」と「埼玉の神社」に詳しく記述されていますので、その概略は次ぎのとおりです。
宗像神社の創建は、大宝元年(701年)11月であるといい、毎年のように荒川の氾濫に苦しめられていた郷人は、川を鎮め、舟筏の交通を守護してくれるようにと、筑紫(現福岡県)に鎮座する宗像大社の分霊を奉斎した。一方、聖天宮は、弘仁十年(819年)に弘法大師が修行中に墨田川の源を訪ね入った所、荒川岸壁の象ヶ鼻に至り、その風光明媚で聖らかなことに感銘し、岩窟に歓喜天の尊像を刻んで社殿を設けたことに始まる。
参考:新編武蔵国風土記稿 雄山閣 昭和52年刊
   埼玉の神社 埼玉県神社庁神社調査団編 平成4年刊

聖天宮(現極楽寺境内に遷座)

盛時、聖天宮は武蔵国榛沢郡藤田郷12ケ村(藤田、桜沢、飯塚、用土、本郷、岡、岡部、深谷、柏合、大谷、永田、黒田)の総鎮守として信仰を集めていた。
聖天宮は上の宮に男体を祀り、下の宮に女体をまつり、中ほどに別当寺極楽寺があった。明治維新を迎え、神仏分離が行われたのを機に、下の宮は宗像神社に、上の宮の象ヶ鼻は国有地になったことから、聖天宮を極楽寺境内に遷座した。
宗像神社という社名は、聖天宮の創建以来、明治初めの神仏分離まで現れてこなかった。

■現在の宗像神社と象頭山聖天院極楽寺

宗像神社拝殿

2日の日曜日の午後に出掛けました。厚い雲が覆い、雨の心配をしながらの見学でした。寄居駅南口広場前の道を直進し、県道30号線の交差点を左折。丁度、山車と笠鉾の7台がこの県道に集まったところで、写真撮影ができました。
県道30号をしばらく進むと、大きくカーブした所から宗像神社参道に入る分かれ道があります。参道を進むと宗像神社社殿が左手に見えます。駅から徒歩で20分程です。神社南側の八高線に沿った道を2分度県道30号線方向に進むと、極楽寺が見え、八高線を跨ぐ小さな橋を渡ると境内に到着します。

聖天宮屋根の紋章

この一帯は現在も「藤田」という地名です。極楽寺の参道を出ると、宗像神社参道の先の道に入ります。荒川に沿った道ですが、上の宮の建っていたといわれる「象ヶ鼻」地域に至ります。公園があり、そこから荒川の崖が望めるかと歩を進めたのですが、崖の間近に鉄条網が張られ、写真撮影はできませんでした。

・宗像神社 埼玉県大里郡寄居町藤田299-2
・象頭山聖天院極楽寺 埼玉県大里郡寄居町藤田249

■祭りの主役 山車と笠鉾

茅町諫鼓鶏山車
寄居町指定重要文化財

「例大祭は毎年11月第一日曜とその前日に行われ、氏子各町より7台の山車、笠鉾がお囃子にのり華やかに曳き回される。山車祭としての歴史は古く文政3年(1820)には、現在も『渡御』『還御』の行列で行われている神輿の後に山車、笠鉾を曳く形がとられていたという記録が残されている」、と宗像神社例大祭パンフレットに記述されています。
また、寄居町教育員会編 郷土のあゆみ(昭和56年刊)の高田清純氏の「聖天について」の文に聖天宮時代の祭の様子が書かれていました。 
「その昔は、夏の祭として、聖天の尊像を神輿に遷座し、氏子の諸人等が御供して神輿の後につき神の心に肖からんと多数の信仰者が行列に参加したのであった」

笠鉾

山車、笠鉾は江戸末期から明治初期に作られ、「一本柱構造の山車」、刻まれた彫刻は、妻沼聖天堂の彫師石原銀八郎の流れを汲む彫師の作品が施されています。
参考:山車の詳しい情報は、HP「宗像神社例大祭」に詳しく取り上げられています。

■残されている二股大根の紋章

宮本笠鉾の幕の二股大根の紋章

「二股大根のマークが、山車のどこかに付いていると聞いたのですが、ご存知ですか?」
「宮本と常木の笠鉾にあると思うよ」と祭り半纏の人の返事でした。
早速、2台の笠鉾が一緒に止まっている場所に移動し「宮本」地区の人に尋ねると、聖天や二股大根という言葉に反応は薄く、ちょっと戸惑った感じでしたが、「この幕かね」と指差して、幕前にいた子たちが体を避けて撮影させていただきました。

常木の笠鉾下部の二股大根の紋章

常木の笠鉾には探していたものが見つかりました。笠鉾下部の腰組部に龍の彫り物、その下に彫金の二股大根の紋章を発見。目的が達成できました。
残念なことは、聖天宮が祀られ、大聖歓喜天を本尊とする極楽寺は、祭りの雰囲気はなく静かな境内でした。以前は、山車が境内に乗り入れたとありましたが、祭りの起源が忘れ去られようとしているのは、ちょっと寂しいですね。

作成日:2014/12/14 取材記者:mhennmi