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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第34回 幕末に活躍した彫刻師たち

石川雲蝶 西福寺開山堂(新潟県魚沼市)

昨年(2014年)新潟県、魚沼市、南魚沼市などが「石川雲蝶生誕200年」記念事業を進めていました。
友人の誘いで「名工・石川雲蝶の作品を堪能するバスツアー」に参加し、4か所の社寺を参拝し、建築彫刻を見学してきました。
石川雲蝶は江戸時代後期から明治にかけて活躍した寺社建築彫刻の名人の一人です。
今回のツアーは、石川雲蝶の作品の見学でしたが、同時期に新潟で活躍した小林源太郎(熊谷源太郎、熊谷の人)の作品も一緒に見ることができました。
妻沼聖天山聖天堂以降、社寺の建築に彫刻は欠かせない要素となり、多くの彫刻師が誕生し技を競い、各地に秀逸な作品が残されました。
特に江戸時代後期から明治にかけて、民衆の力による社寺建築が広がりを見せたことから、各地で素晴らしい作品を観ることができます。
今回は幕末に活躍した彫刻師たちを取り上げます。

■石原吟八郎の流れを汲む彫刻師たち

聖天堂の彫物大工棟梁と言われた石原吟八郎は、多くの彫刻師を育て、彫刻師石原流の大きな流れを作り出しました。今回取り上げる彫刻師たちのルーツとなっています。
*石原吟八郎師弟図参照(上図)

■2代・3代石原常八

聖天山貴惣門

花輪村(現群馬県みどり市)に誕生した彫刻師集団の始祖的存在の石原吟八郎のもとで、多くの優秀な弟子が育っています。中でも、石原常八家は3代にわたり名人としての名を残しました。
幕末、明治期に活躍した2代及び3代の石原常八の代表作の一つは、妻沼聖天山貴惣門です。常八親子の共作です。
嘉永4年(1851)に造立され、建物の構造及びその施された彫刻が豪壮であり、国の重要文化財となっています。




・2代石原常八主信 天明6年(1786)~文久3年(1863)
 板倉雷電神社 天保6年(1835)
・3代石原常八主利(主計) 文化7年(1810)~明治15年(1882)
 羽生須影八幡神社 安政5年(1858)

■飯田仙之助、岩次郎

箭弓稲荷神社本殿縁の下の龍

花輪村に生まれ、岩次郎の誕生後、河原明戸村(現熊谷市)に移住。
河原明戸村の大工棟梁として名を残している飯田和泉守安軌の子、又は弟の説がありますが、この飯田家を頼って移り住んだのでしょう。
飯田仙之助の作品は、東松山市の箭弓稲荷神社に残されています。
天保6年(1835)の造営といわれ、仙之助、岩次郎親子の共作による精緻な仕上がりです。
社殿周りに作品の解説パネルが設置されていて、鑑賞しやすく工夫されています。

・飯田仙之助 明和5年(1768)~天保6年(1835)?
・飯田岩次郎 生年?~明治18年(1885)

■小林源八、小林源太郎

小林源太郎  龍谷寺欄間彫刻

武州玉井村(現熊谷市)に生まれ、花輪村石原吟八郎継いだ2代石原吟八に師事しています。生没不詳ですが、2代石原常八と同時代の人です。箭弓稲荷神社本殿を寛政9年(1797)に手掛けています。
小林源太郎は、通称熊谷源太郎と言われ、初代小林源八を継いだ2代目。本姓長谷川、号は少淋斉。寛政11年(1799)玉井村で生まれ、熊谷で修業したものと思われますが、手掛けた作品が熊谷周辺に見つかっていません。
文政4年(1821)吾妻神社(中之条町)を父源八と一緒に手掛け、安政2年(1855)榛名神社双龍門など群馬県内にはいくつか残されています。

新潟県内では、石川雲蝶と並び社寺彫刻の名人として記録され、その作品は新潟県内各所に残されています。
写真は、南魚沼市の龍谷寺欄間彫刻で、石川雲蝶と一緒に制作したといわれています。
・小林源太郎 寛政11年(1799)~文久元年(1861)

■石川雲蝶

「石川雲蝶生誕200年」記念事業
パンフレット表紙

石川流の初代石川周信は武州中瀬(現深谷市)の人です。2代から江戸住まいになり、石川雲蝶は3代石川周信を師としています。
小林源太郎と同じく石川雲蝶も越後で大活躍した名人です。
「石川雲蝶生誕200年」記念事業が行われるほど、石川雲蝶は新潟県各地に作品を残し、特に開山堂の天井彫刻は圧巻です。しかし、写真撮影が禁止されていますので、パンフレットの写真を掲載します。
・石川雲蝶 文化11年(1814)~明治15年(1883)
参考:越後の名匠 石川雲蝶 足跡と作品を訪ねて
   木原 尚著 新潟日報事業社発行

作成日:2015/02/16 取材記者:mhennmi