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第27回 妻沼ゆかりの画人たち その1

昨年に引き続き、妻沼掛軸愛好会(鈴木進会長)は、熊谷市立妻沼展示館を会場にして、妻沼ゆかりの文人墨客たちの作品展を開催しました。
昨年は、明治を代表する女流画家奥原晴湖没後100年を記念した「奥原晴湖とその一門」展でした。
今年は、去る1月11日、12日の2日間、大正、昭和に活躍した人たちの作品を「妻沼郷の大正・昭和期の書画展」と銘打ち開催されました。
小杉香雪、舞原東海、石坂養平、岡部蒼風、柿沼宋居、岡田雄皝、野中南湖、石坂養平、吉田翠鳳、蜂須秀雲、倉上明湖の10人でした。
今回は、日本美術院再興100周年ということで、日本美術院に係わった「岡田雄皝(おかだゆうこう)」と「柿沼宋居(かきぬまそうきょ)」を取り上げてみました。

日本美術院は、明治31年(1898)創立で、展覧会の名称「院展」が知られています。創立から数えれば今年は117年となりますが、いったん活動を停止をしていたところ、大正3年(1914)に再興されたことから、100周年といわれています。それを記念した特別展「世紀の日本画」展が、東京都美術館で開催されます。興味のある方は、出かけてみてはいかがでしょう。
 ・ 開催期間 2014年1月25日から4月1日です。

■岡田雄皝

岡田雄皝作品「柿紅葉」

岡田雄皝は明治35年(1903)、東京下谷に生まれました。本名は計次。父親の岡田白柳(名は甚七 明治8年~昭和3年)は、小島村(現熊谷市、旧妻沼町男沼地区)の出身で、上京して警察官となり、かたわら南画を学び、日本美術協会、日本画会で活動していました。父の影響下、幼少のころより画才を発揮し、大正4年(1923)12歳にして荒木十畝(あらきじっぽ 明治5年~昭和5年)の門下となり、「万樹」と号し、14歳で「七面鳥図」を日本画会展に出品して初入選。大正10年19歳になって橋本静水(雅邦の嫡子)に師事、このころ号を「雄皝」と改めています。
明治、大正時代は、日本画壇の揺籃期でした。純粋な伝統絵画を保存しようとの方針の下に集まった龍池会(後に日本美術協会、旧派)と岡倉天心の下に集まった新しい絵画を目指す鑑画会(後に日本美術院、新派)の2つのグループに分かれていました。師事した荒木十畝は、旧派の主要メンバーで、父の岡田白柳もメンバーでした。
日本画会とは、明治31年に創立の団体で、師の荒木十畝は結成者の一人。

岡田雄皝作品「海老」

大正10年から新派といわれた日本美術院の橋本静水(はしもとせいすい 明治11年~昭和18年、橋本雅芳の養子)に師事し、再興院展で大正12年に初入選。
岡田雄皝は新旧両派の師から学び、花鳥図にその才能を発揮し、昭和2年26歳の若さで院友に推挙されています。その後、昭和15年まで院展での入選を重ねています。
精緻美麗な花鳥画を得意し、海老と雀を描かせたら日本一と呼ばれるほどで埼玉画壇では大きな存在となりました。

間々田稲荷神社

熊谷市間々田(旧妻沼町男沼地区間々田)にある古社の稲荷神社です。岡田家は男沼地区に縁戚者も多く、元妻沼西中学校美術教師の浅見シズ氏の協力の下に、稲荷神社格天井に地元の人たちと一緒に作品を残しています。

■柿沼宋居

柿沼宋居作品「鐘馗の図」

柿沼宋居は明治36年に弥籐吾村(現熊谷市 旧妻沼町)に生まれました。本名は興(おき)。熊谷中学を3年の途中で退学し、日本美術学校に入学して日本画を学びます。
 岡田雄皝と同時期に日本美術学校で学んでいたわけですから、どこかで接点があったのかも知れません。
 大正12年に学校卒業後、田中咄哉州(たなかとうさいしゅう 明治26年~昭和33年)の門下となり、雅号を「宋居」と称しました。
田中咄哉州は日本美術院系の団体で活動し、日展審査員を務めた人ですが、「画家として一家を成すには一流の師匠の下で勉強することが必要」と師の推挙により、中村岳陵(明治23年~昭和44年)に師事します。
中村岳陵は、横山大観の信頼を得ていた日本美術院の重鎮です。源氏物語など古典的題材に取材した作品を発表。また、昔の禅僧のように山野に踏み入れ、ひとり静かに四季の変化に身を置き、樹木、花鳥、鳥獣魚類の生態を写生した作品を多く残しました。

柿沼宋居作品「早春の梅花」

柿沼宋居は、この中村岳陵の影響を受けて、作品作りに励み、武蔵野、上信越の自然をテーマにした作品を院展に出品し入賞を重ねていました。
岡田雄皝と同じく太平洋戦争の影響を受けて、昭和20年に東京から故郷妻沼に移転し、以後20年以上妻沼で創作活動を続けていました。

柿沼宋居作品「初夏の奥日光」

終戦後の厳しい社会状況下、生活の逼迫していた中で、柿沼宋居は、「絵にも世相が現れるはずだが、日本画は幸いにもまだあまり世相の混濁を受けていない。絵を見てしばしなりとも人生の真味を楽しむことは、今のような不安動揺の甚だしい世の中においては特に必要なことだ」と語っていました。

昭和25年に行われた柿沼宋居作品頒布会の案内書が残されています。「君はもと醇厚誠実の人柄であって、敢えて自ら名を売ろうというような邪念は毛頭も持っておりませんが、多年刻苦精励の成果は山水に花鳥に人物に行くとして可ならざるなく技いよいよさえて、とみに大家の風格を具備するにいたりました」と発起人の一人石坂養平(明治18年~昭和44年 文芸評論家、政治家)は、推薦文に書いています。

妻沼掛軸愛好会及び妻沼地域文化財調査研究会の指導者金谷俊夫氏は、常々、「いま私たちふる里の生活を語るとき、それぞれが華やかで旺盛、まさに目を見張るものがある。そして、その成果は事あるごとに披露され喝采されている。
しかし、過ぎし日の妻沼ゆかりの先人たちの創造した文化、足跡についてどれ程の知識と理解があろうか。先覚者の活躍やその成果の多くが今時代の流れに埋没し、安易に破棄されあるいは風化して、今にみることができなくなってしまったものも数多い。
貴重な残存作品の中にも、掛け替えのない素晴らしいものが残されている。時にはすでに美術品としての市場価値はなくなってしまったと思うものもある。だが、これこそ過ぎし日の妻沼文化の基であり、これに係わった先人たちへの敬意であり、妻沼の町に住む人の義務であり誇りでもある」と、語っています。
昭和の時代に活躍された2人の画家ですが、既にその作品をまとめて展観することが難しい状況であることは、残念です。
今回の記事は、妻沼掛軸愛好会の皆さんから、作品の撮影、資料の提供をいただきました。

■第27回 妻沼ゆかりの画人たち その1のスポット写真

岡田雄皝作品「鯛」
間々田稲荷神社格天井の岡田雄皝作品
間々田稲荷神社格天井の地元の人たちの作品

作成日:2014/02/02 取材記者:逸見稔