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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第38回 妻沼画人伝2 荻原春山

大我井神社境内の石碑1

今回は妻沼ゆかりの画人たちその1(2014.2.2)の続きを記事にしました。その1は、大正・昭和でしたが、今回は明治に活躍した「荻原春山」です。
妻沼大我井神社は「火祭り」で有名ですが、正確には大我井神社の摂社富士浅間神社の鎮火祭です。
富士浅間神社は大我井神社境内に富士塚が築かれ、塚の上に祀られています。富士塚の参道脇には、富士講行者の碑が並ぶ中に、友人が「荻原春山の絵が彫られている」と指摘したので、早速、確認してみたところ、富士講の角行の肖像画が陰刻され、「七十翁荻原春山筆」と彫られていました。
小さな碑で、かつ彫が浅いために、ほとんど関心を引き付けないものでした。
良い物を見つけたと、早速取り上げることにしました。

■春山画が刻まれた石碑

大我井神社境内の石碑2

ほぼ二等辺三角形の板状の石碑(底辺68㎝、高さ65㎝、幅6㎝)です。春山は人物画を好んで描いています。
裏側には、明治23年(1890)9月 当所発起人長谷川徳次郎とあります。
*角行 江戸時代に富士講を結成した人々の信仰上の開祖。

■荻原春山の活躍

第2回内国絵画共進会出品人略譜

荻原春山の名が知られるのは、明治15年(1882)の第1回内国絵画共進会及び明治17年(1884)の第2回内国絵画共進会への出品です。
内国絵画共進会は、明治15年と明治17年に開催された官営の展覧会。
第1回は約2000人が出品し、橋本雅邦、狩野探美、田崎早雲、森寛斎などが銀賞。第2回は約1500名。守住貫魚が金賞。川辺御楯、山名貫義、滝和亭、幸野楳嶺、橋本雅邦などが銀賞。(洋画の出品はない)
第2回内国絵画共進会出品人略譜(目録)国立国会図書館近代デジタルライブラリーで確認できます。

埼玉県の項に、荻原春山をはじめ6名が出品していることが分かります。
●荻原春山 武蔵國旛羅郡永井太田村ニ住ス荻原浅吉ノ男ニシテ文政四年五月八日生ナリ文政十一年ヨリ畫ヲ
 能護寺住職鳳旭ニ学ビ天保二年ヨリ畫ヲ樋口春翠ニ学ビ同八年狩野洞章ニ就キ夫ヨリ畿内東海及ビ播磨備前
 備中讃岐阿波近江美濃信濃上野下野等ヲ遊歴ス
(以下一部省略)
●吉田明䡄栄洲 男衾郡鷹巣村 天保2年生 天保13年より安政4年福島栄春に師事 安政4年より万延元年
 狩野勝川に師事 文久元年から遊歴
●田中甚内竹翁 比企郡下横田村 文政元年生 狩野晴川院養信に師事
●福島蔦五郎鷹山 旛羅郡三ヶ尻村 文政2年生 樋口春翠に師事(春山と兄弟弟子)
●秋元政之助素幽 北足立郡大宮宿 天保13年生 安政5年より慶応3年狩野素川に師事
●森田久蔵晩翠 北足立郡藤子村 弘化元年生 明治元年より秋元素幽に師事
 明治8年より狩野素川に師事

■春山のプロフィール

画伯荻原春山翁碑

本名千代吉、清泉斉春山と号し、道能、白梅軒とも称す。文政4年(1821)8月永井太田村北廓荻原浅吉の長子に生まれる。幼少より利発にして画を好む。9歳のとき能護寺住職鳳旭師に画の手ほどきを受ける。
次いで、中条の樋口春翠や狩野洞章らに師事して本格的に画道に精進したが、天保9年(1838)父の死により画筆を捨てて家業に励む。嘉永3年(1850)家を弟信有に譲って江戸に学び、諸国を遊歴ののち、宅地内に隠居所を構えて、画の道に専念する。
春山は、明治15年東京で開かれた第1回内国絵画共進会に埼玉県の画人として、「神宮皇后像」等を出品し、続いて、明治17年の第2回内国絵画共進会に出品して埼玉画人の名を高めた。
また、古希の祝に画いた「夫婦自画像」には、死後歓喜院稲村英隆師が「善事をこの世になせしこのふたり弥陀の御国に今はいたりぬ」と追慕の賛を書いている。
明治30年(1897)6月死去、享年77歳。能護寺に葬られ、翌年弟子たちによって「画伯荻原春山翁碑」が建てられる。

参考:「さいたまの肖像拾遺 内藤勝雄」昭和53年3月20日刊 埼玉県立博物館紀要4 
    荻原春山画集 妻沼中央公民館で昭和53年10月17日~19日開催された春山画伯展目録

■なぜ故郷に隠棲?

地元愛好家所有の春山の作品

春山の生きた時代は、日本の絵画の激動期でした。
特に、幕府御用絵師の狩野派は明治維新と同時に職を失い、多くの画家が路頭に迷う状態でした。
狩野派の凋落を横目で見ながら得意の絶頂にあったのが南画界です。奥原晴湖はその代表格です。
しかし、狩野派は再び画壇に返り咲きします。明治15年は南画が後退し、伝統美術復興の機運に乗って狩野派は再び画壇に返り咲きします。
いわばその象徴が第1回内国絵画共進会であり明治17年の第2回内国絵画共進会でした。
ここに春山は出品しながら、以降は表舞台に出てきません。
激動期を目の当たりに見て、故郷での後進の育成をしながら画作を楽しむことを選択したのでしょうか。
春山に尋ねたくなります。

■紹介された展示会等

埋もれている郷土の絵師たちⅢ図録より

埼玉県立博物館(現埼玉県立歴史と民族の博物館)が、昭和51年度特別展として、10月24日から11月21日まで開催した「さいたまの肖像」に取り上げられ、その後、昭和53年3月20日発行された埼玉県立博物館紀要4に「さいたまの肖像拾遺」内藤勝雄氏の文が掲載れます。
これが契機になり、地元の妻沼中央公民館(現熊谷市立妻沼中央公民館)で昭和53年10月17日~19日の間「春山画伯展」が開催されました。
以降2つの展示会で取り上げられています。



・妻沼ゆかりの先人画墨展 平成12年4月23日~5月22日 熊谷市立妻沼展示館 
・~樋口春翠・荻原春山・福島春眠~ 埋もれている郷土の絵師たちⅢ
 平成18年10月24日~12月3日 熊谷市立熊谷図書館 

作成日:2015/06/26 取材記者:mhennmi