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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第41回 残されている霊場の姿 別府地域

第61番香林寺のムクロジ

「残されている霊場の姿」第2回目は、熊谷市別府地域の霊場を取り上げます。
別府地域は、古代の遺構を残す文化財の宝庫です。7世紀~11世紀ごろまで使われた「西別府祭祀遺跡」。今回対象の霊場第35番清滝院は遺跡の範囲内にあったようです。更に、古代寺院跡の「西別府廃寺」(8世紀~9世紀)、更に隣接して「西別府遺跡」と古代史マニア垂涎の場所です。
東別府には、別府城跡や九品仏(九体の大きな仏像を安置)堂などがあり、欲張るとまとまらなくなるので、努めて霊場に絞り込みまとめました。
別府地域は、幡羅郡新四国八十八ヶ所霊場の4ヶ寺が該当しますが、その内3ヶ寺は廃寺になっていました。

■第61番香林寺

香林寺の双体道祖神

●第61番香林寺 曹洞宗 幡羅郡東別府村(現熊谷市別府799)
・四国香園寺(愛媛県西条市)
 御詠歌「後の世を思えば詣れ香園寺 止めて止まらぬ白滝の水」
・香林寺は別府城跡の東跡内にあります。創建年代は2説あります。
① 1100年代 父追福のために、子の小太郎清重が建立。
  清重は、一ノ谷の合戦(1184年)に従軍。
② 1500年代 祖先供養のために、12代別府長清(1590年没)の
  創建。
・トップの写真は、香林寺境内のムクロジの大木(幹回り1.9m、
 樹高16m)です。熊谷市指定天然記念物で樹齢300年ほど。
 ムクロジの漢字表記は「無患子」で、患うこと無く心身健康で
 ありたいと信仰された霊木。写真は11月に撮影で、裸木ですが、
 実は数珠や羽子板の羽の材料にされていました。
 霊場参拝者は、必ず、そっと樹に触れて健康祈願をしたことで
 しょう。


・香林寺には、双体道祖神の古いものもあります。宝暦12年(1762)の刻銘があり、この幡羅郡新四国
 八十八ヶ所霊場開創の天保6年(1835)以前から祀られていた貴重な石造物です。

■別府城跡

別府城跡の土塁

・別府地域は、成田氏の祖、成田助高の次男行隆が別府に住
 み、別府次郎と称して別府氏を興し、館を構えたと伝えられ
 ています。
・別府城の広さは、東西118m、南北163mあり、東西2か所に
 分かれていました。この内の西跡は、現在も土塁が残り、館
 の雰囲気を伝えています。西跡には東別府神社が祀られ、東
 跡には香林寺があります。

■消えてしまった寺

清滝院住職の墓?(湯殿神社南)

新編武蔵風土記稿から、江戸時代の寺院を拾い出してみると、別府地域の霊場となっていた3つの寺院及び霊場外の勝楽寺(天台宗)・観蔵寺(当山修験)・雷福院(当山派修験)が、明治の宗教政策の影響か、廃寺になっています。その当時の資料が集めることができず、寺院の建っていた場所の特定もできませんでした。
廃寺の霊場の概要は、新編武蔵風土記稿の記述によります。





●第6番福泉寺 古義真言宗 太田村能護寺末 幡羅郡東別府村
 村内の八幡社の別当寺。本尊は香林寺に合祀と伝わっています。
・四国安楽寺(徳島県上坂町) 御詠歌「かりの世に知行争うむやくなり 安楽国の守護をのぞめよ」

●第35番清滝院 天台宗東叡山末 幡羅郡西別府村 湯殿権現社(現湯殿神社)の別当寺
・四国清瀧寺(高知県土佐市)  御詠歌「澄む水を汲めば心の清瀧寺 波の花散る岩の羽衣」

●第63番長福寺 新義真言宗 下増田村観音寺末 幡羅郡西別府村
・四国吉祥寺(愛媛県西条市) ご詠歌「身の中の悪しき悲報をうちすてて みな吉祥を望み祈れよ」

■参考資料

・熊谷の歴史を彩る史跡・文化財・人物 熊谷市立熊谷図書館刊
・関口 一氏調査資料
・幡羅郡新四国八十八ヶ所大師霊場 小倉八十著
・四国八十八ヵ所ゆとりの旅 ブルーガイド編集部編

作成日:2015/11/29 取材記者:mhennmi