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第44回 残されている霊場の姿 第67番薬師堂と画人岩崎栄益

薬師堂格天井画

「残されている霊場の姿」の第3回目は、妻沼聖天山から南西方向2キロほどの八木田地域内の第67番薬師堂を取り上げます。
幡羅郡新四国八十八ヶ所霊場の調査の参考資料にさせていただいている小倉八十氏の霊場紀行文に次の記述があります。
「このお堂は高床三間四面札所中でも断然風格のある建築物で、向拝長押内陣の欄間などに精巧な彫刻が施され、格天井にも華麗な極彩色の絵が奉納されている」
エ!そんな凄いお堂だったか。身近な場所、そして境内で遊んだ記憶のあるお堂を改めて取材してまとめました。(案内図 下段スポット写真コーナー参照)

■第67番薬師堂

薬師堂と銀杏の木

新編武蔵風土記稿の幡羅郡八木田村の条に、「観音寺 古義真言宗、太田村能護寺末、大悲山薬師院と号す、慶安中寺領六石五斗の御朱印を賜ふ、開山證海寂年知れず、本尊千手観音を安ず」次に「薬師堂 観音寺持」とあります。堂の詳細な記述はありません。観音寺は第44番霊場です。
私たちが境内で遊んでいたころは、お堂の裏手は雑木林で、カブトムシやクワガタを獲りに訪れていました。
現在も銀杏の大木は当時のまま。お堂の周囲は雑木林はなくなり、お堂がぽつんと立つ風景はちょっと寂しいですね。

薬師堂向拝彫刻

薬師堂の建築彫刻は一見の価値があります。
小倉八十氏の「往時はまばゆいばかり美事で美しかったものと思われる」と述懐していますが、妻沼聖天堂以降の建築彫刻は各地に伝わり、現在でも名工の作品を見ることができます。しかし、妻沼地域内では、妻沼聖天堂、貴惣門以外で、名工の作品を見る機会は少なく、この薬師堂の彫刻は貴重なものの一つといえます。
ただ残念なのは、すでに荒廃が著しく、朽ちるのを待つかのようです。
●第67番薬師堂 高野山真言宗 幡羅郡八木田村
 (現熊谷市八木田)

・四国大興寺(香川県三豊市)
 ご詠歌「植え置きし小松尾寺を眺むれば法の教えの風ぞ吹きぬる」

■岩崎栄益の墓

岩崎栄益の墓

薬師堂から西300mほどに安養院があります。霊場にはなっていませんが、巡礼の人々は立ち寄ったのではないでしょうか。 ここの墓地に江戸時代末期に活躍した、郷土の画家岩崎栄益の墓があります。

岩崎栄益の作品
(妻沼掛軸愛好会展示会)

岩崎栄益は、猫絵の殿様新田岩松家の御用絵師を勤め、文化11年(1814)に再建された永井太田の能護寺本堂の格天井や板戸に、金井烏洲、樋口春翠らと、画技を競いながら花鳥風月を描き、残されています。
薬師堂の格天井の絵(トップ写真)を見ていると、岩崎栄益の作ではないかと、想像したくなります。地元八木田村には、栄益の弟子大岡柳斎も活躍していた画家の一人です。

■参考

・幡羅一郡新四国八十八カ所大師霊場 小倉八十著(俳誌「相思樹」に連載。昭和63年)
・金井烏洲 島村(現伊勢崎市)寛政8年(1796)~安政4年(1857)
 江戸で春木南湖に南画を学ぶ、能護寺の内陣、格天井に作品を残す。
・樋口春翠 上中条(現熊谷市) 寛政4年(1792)~安政3年(1856)
 狩野派、能護寺の格天井に作品を残す。門弟は荻原春山。
・大岡柳斎 八木田 文化7年(1810)~明治25年(1892)
 新田岩松家御用絵師 岩崎栄益門人となり、その後狩野派を学ぶ。
・新田岩松家 新田義貞の末裔。江戸時代は百二十石の石高で、十万石格の大名として認められていた。
 新田庄下田嶋(現太田市)に住し、猫大名といわれていた。
 岩松家代々の当主が描く猫の絵は鼠除けとして重宝されており、岩松家の貴重な収入源の一つになっていた。

■第44回 残されている霊場の姿 第67番薬師堂と画人岩崎栄益のスポット写真

案内図
薬師堂の建築彫刻1
薬師堂の建築彫刻2

作成日:2016/02/25 取材記者:mhennmi