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熊谷市文化財日記

歴史 地域

上之土地区画整理地内遺跡の発掘調査についての続報

■上之土地区画整理地内遺跡の発掘調査についての続報

市内上之では土地区画整理事業を進めるにあたり、事前に発掘調査を行っています。今回は、平成29年4月から6月まで実施した藤之宮遺跡の調査についてご紹介いたします。
今回の調査では、古墳時代前期(約1,600年前)から平安時代(約1,000年前)までの遺構・遺物がたくさん見つかりました。特筆すべきこととしては、平安時代の井戸跡が2基見つかったことが挙げられます。いずれも円形に掘り込まれた穴の下部に加工した木材で四角い木枠が組まれており、木枠内からは土器の他に、下駄や曲物、「桛」(上写真)と呼ばれる糸を巻き取る道具など水分を含む低地でなければ残らない木製品なども見つかりました。

■空から見た遺跡【三ヶ尻地内の館跡】

昭和58年三ヶ尻地区のほ場整備事業の実施に際し、黒沢館跡の発掘調査が実施されました、その結果渡辺崋山の『訪瓶録』に描かれた伝黒沢屋敷跡の濠割が姿を現しました。出土遺物の大半はかわらけや板碑片などでしたが15世紀後半の一時期を示しており、古河公方と管領上杉氏の争乱(享徳の乱)、扇谷・山内の両上杉氏の抗争(長享の乱)の頃に館が造られたと考えられました。この頃は、関東では各所に城郭が造られ、市域でも村岡において熊谷の渡しを回る戦闘が度々起っていたようです。
館跡の主郭は一辺が約60mの長さを有し、上幅約3m、深さ1mの濠がほぼ台形に回っていました。城塞としては小規模に見えますが、昭和49年撮影の航空写真を見ると「ふるぼり」と呼ぶ南東を走る水路の配置と主郭の南前面から東北側の屈折の位置とに一致することが窺えます。この「ふるぼり」と主郭の前面が曲輪を形成していたと想定されます。この防備は南東方向―村岡の渡し方向に当たっており、石原~広瀬方面より進攻する敵を迎え撃つ備えとみられます。なお、航空写真では黒沢館西側にも大きな方形区画がみられ、黒沢館跡と関連した土地利用が行われた可能性があり、一体の曲輪であったかも知れません。 
新編武蔵風土記稿には次のような記録があります。「黒沢武蔵守義政というものの、居りし跡なりといへり、また文明5年(1473)長尾春景古河公方成氏の後詰として、男衾郡鉢形の城に楯籠り、夫れより埼玉郡成田へ出陣せし時、太田入道道灌も馳向ひ、荒川を渡り当所に陣して、両陣の間を遮りしと云うはこのところなり。」 (参考:『熊谷市史』資料編1考古)

■西別府廃寺の整理作業

現在、昨年度発掘調査を実施した西別府廃寺の整理作業が佳境を迎えています。この遺跡は、この度国指定史跡になる幡羅官衙遺跡群の一部であり、この遺跡群の性格を知る上で重要な遺跡となります。また、この遺跡は、今から1,100年前ごろから現在の西別府地域にあった寺院の遺跡です。
今回の整理作業の中心は大量に出土した瓦(4,300枚)、瓦塔(素焼で作ったミニチュアの仏塔)(90点)を実測、トレースすることで、これらを下図のように図面化していきます。他にも幾つかの作業がありますが、こうした作業を経て報告書として製本・刊行されます。

■上之土地区画整理地内遺跡の発掘調査についての続報のスポット写真

昭和49年撮影 航空写真
瓦塔の図面化

■江南文化財センター

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住所 熊谷市千代329番地
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 土曜日・日曜日・祝日・年末年始
お問合せ 048-536-5062(熊谷市立江南文化財センター)

作成日:2018/08/13 取材記者:江南文化財センター