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熊谷市文化財日記アネックス

歴史 地域

熊谷は水車のまちだった

昭和10年頃(上押切)

熊谷市公連だより8号(H21/12/14日発行)

荒川は熊谷の土地と自然を産み、市の歴史と文化にも大きな影響を与え続けています。荒川と深くかかわりながら、現在では全く消滅した「水車」を取り上げてみました。
かつて熊谷の産業を支え、自然エネルギーを上手に利用し風土景観に潤いを与えた「熊谷の水車」に興味をもってくれたらと考えています。
埼玉県の水車については1980年代に埼玉県史編編さん室が総合調査を行った「荒川」の報告が基礎的な研究報告と思いますが、その後の研究はほとんど進んでいない状況です。荒川の水車は熊谷の水車なしでは語れないと思い、簡単な紹介を以前行っています。

※熊谷市公連だより くまがや風土記にてご紹介。
 こちらもぜひ、ご覧ください。
・平成21年12月14日発行 熊谷市公連だより8号(PDF)
・平成23年7月29日発行 熊谷市公連だより11号(PDF)
・平成24年12月7日発行 熊谷市公連だより14号(PDF)

■熊谷の水車の特徴

1. 荒川の水量・水勢を分水した六堰用水路を利用し、市域の集落まわりに水車施設が展開していた。なお、
  荒川中流域に位置する熊谷市域より下流地域では殆ど水車が設置されなかった。また、熊谷より上流では
  荒川本流には「船車」と呼ぶ水車船を設置していた。
  (河合玉堂の長瀞の春を描いた屏風絵にも描かれています。)

2. 熊谷市域に所在した水車は旧熊谷と江南町で、江戸時代後半期から昭和30年代まで稼働営業していた。
  市域の産業と結びついた米麦の精製から製粉等が主体で、近隣からの利用も多かった。昭和初年頃
  統計等を見ると市域に56基の水車があった。

3. 水車本体の研究は進んでいないが、下掛け式、水輪を片側に備えた切妻建物の写真か残されており、かつ
  ての姿をわずかに知ることができる。
  (まだ知られていない写真や図が見つかり公表されることを期待したい。)

4. 水車の消滅は、荒川上流のダムや用水路の新設・改修などで水量・水勢が減少し水車の稼働が難しくなっ
  たこと、加えて燃料を動力とする機械化が進んだことによる。

5. 市域には水車施設の痕跡がまだ残る場所があります。現地での観察また、記憶の発掘も進めていけたらい
  いと思います。(かつての市内星川にも水車がありました。夢は復元できたらいいな。)

熊谷の水車は市の記憶からも忘れ去られてしまいそうです。簡単な紹介を記しましたが、水車に関心を寄せる人が増えることを願います。

【参考図書】埼玉県1988『荒川 ―Ⅰ 荒川総合調査報告書』

■熊谷は水車のまちだったのスポット写真

熊谷市公連だより8号(H21/12/14)
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熊谷市公連だより11号(H23/7/29)
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熊谷市公連だより14号(H24/12/7)
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■江南文化財センター

住所 熊谷市千代329番地
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 土曜日・日曜日・祝日・年末年始
お問い合わせ 048-536-5062(熊谷市立江南文化財センター)
ホームページ 江南文化センター「熊谷デジタルミュージアム」へはこちらからどうぞ。

作成日:2021/07/10 取材記者:江南文化財センター