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熊谷・軽井沢・プラハ

地域 歴史 ~2023年迄掲載

第16回 野の百合 空の鳥

ヘルシンキの海辺

■オウヴェルトゥーラ(序曲)

北欧フィンランド、ヘルシンキのテンペリアウキオ教会。私は教会の壁面に露出する岩盤を眺めながら、室内に入り込む真夏の太陽光を受け止めていた。岩の教会としてヘルシンキ市民に愛されているこの教会は、1960年代にスオマライネン兄弟によって設計された。フィンランドにおける新たな建築デザインの象徴として語られるその場所にて、私は一人佇んでいた。そして、私の脳裡には或る音楽が流れていたのである。
《ゴルトベルク変奏曲》(BWV 988)。この曲はJ・S・バッハが《クラヴィーア練習曲》として出版した内の最後の作品であり、「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」という表題が付けられている 。冒頭のアリア、30の変奏曲、終結部にて再び繰り返されるアリア。この全32曲によって構成される《ゴルトベルク変奏曲》が静寂の中に更なる静寂を設えるように、或いは諧謔を込め、熱情を発散されるように、密かに響き続けていた。私の内部にて響くその曲の演奏者が、グレン・グールドであるのか、グスタフ・レオンハルトであるのか、マレイ・ペライアであるのかは分からない。しかしながら、元来のチェンバロではなく、ピアノの音が響いていた。もしや、コンスタンチン・リフシッツであったのかも知れない。
私はテンペリアウキオ教会を後にして、ヘルシンキ中心街のカンピ静寂の礼拝堂に向かった。その間も、《ゴルトベルク変奏曲》は流れ続けていた。この礼拝堂は木材を曲線的なフォルムに設えた壁を有し、その表面は色に輝いていた。内部に立ち入ると円形の天井から優しき光が零れていた。私がその光を仰いだ瞬間、第30変奏が流れ始めた。クオドリベット(quod libet)と称される特徴的な曲調からは、ラテン語の文字通り「お好きなように」という囁きが発せられるかの如く、そこに在る私の意識を更に明るみへと向かわせるのであった。そして、冒頭のアリアが再び奏でられた時、上空の雲が横切り、室内に微動する影を齎したのである。

ヘルシンキの海辺

私は鞄からそっとカイエ(雑記帳)を取り出し、月光の下に立つ一人の女性を描いた。森に囲まれ、その奥の湖には月光が水面に映っている。女性の近くには黄燈が置かれている。手前には赤いカンナが咲いている。私は黒インクのペンで描き、想像の中で色彩を与えていく。無音と黒い線。それはすなわち、響く《ゴルトベルク変奏曲》と、描かれた油絵なのであった。いわばここに息衝くものは、カイエを舞台にした、或いは媒体とした想像の旅なのである。思考し、描く。思考し、詩にする。思考し、草稿を記す。この連なりによって、私は自らの意志や希望、更には絶望や不安と向き合う術を得ることができた。ここにあるカイエは、私が想像し描いた青いデルフィニウムの花であり、私が思考し記した実存主義の考察であり、私が音を感受し表現した《ゴルトベルク変奏曲》のための絵画であるのかも知れない。
 私は一呼吸し椅子から立ち上がり、街路へと歩み出した。エスプラナーディ公園の中央に辿り着くと、フィンランドを代表する詩人、ユーハン・ルードヴィーグ・ルーネベリの像が私を迎えてくれた。私はその下に置かれた乙女像の前に立ち、カイエを開いた。そして、私は冷静なる意気と共に、「オウヴェルトゥーラ」(序曲)と記した。その瞬間、再び、あのアリアが響き始めたのである。

■第16回 野の百合 空の鳥のスポット写真

ヘルシンキの海辺

■第16回 野の百合 空の鳥の詳細情報

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作成日:2021/04/12 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹