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妻沼聖天山界隈

~2019年迄掲載 歴史 地域

第45回 残されている霊場の姿 第46番長慶寺薬師堂(西城)

長慶寺薬師堂向拝虹梁の虎

去る3月12日、~熊谷市誕生10周年記念~ 熊谷市史編さん講演会が、妻沼中央公民館で開催されました。
市史編さん室は、市史の編さん・市史の刊行、古文書・行政文書等の収集、調査、保存活動を進めています。
講演内容は、市史編さん事業の成果発表会でした。その中の「市史別編2妻沼聖天山の建築」の発刊予告と調査研究による新発見が述べられました。
興味を引き付けたのは、妻沼聖天堂建築の重要人物林兵庫正清と石原吟八郎の名の墨書が、西城の長慶寺薬師堂内で発見されたことです。
長慶寺は幡羅郡新四国八十八ヶ所霊場の第46番です。
残されている霊場の姿第4回目として、取り上げます。

■虎の彫刻

日光東照宮神輿舎の虎

寅(虎)と薬師信仰は密接です。特に、「徳川家康」は、薬師如来の生まれ変わりといわれ、各地に薬師堂が建てられ信仰されました。
その由来は、家康の両親が、鳳来寺(愛知県新庄市)の薬師如来に祈願したところ、寅年、寅の刻に家康は生まれたと伝えらています。
家康を祀る日光東照宮には、いくつもの虎の彫刻があります。
長慶寺の薬師堂は、向拝虹梁に眼光鋭い虎が彫られ、寅(虎)薬師の信仰が篤かったことが窺えます。
安井住職から、「徳川歴代将軍を寺内で供養していた」とお聞きしました。

新発見されたことの詳細は、5月に発行予定の「市史別編2妻沼聖天山の建築」を楽しみにしたいと思います。

*市史別編2妻沼聖天山の建築 A4サイズ2冊組 価格2,500円
 問合せ:熊谷市市史編さん室 048-567-0355

■第46番 長慶寺

長慶寺薬師堂門前標石

長慶寺のホームページによると、南北朝時代の永和2年(1376)に慶弘という僧が来山し、真言密教の道場に相応しいとして、薬師如来像を祀り霊場を開創したとあります。
新編武蔵風土記稿に、「古義真言宗、上野国邑楽郡赤岩村光恩寺末、浄瑠璃山薬樹院と号す、薬師堂領10石は、慶安2年10月17日御朱印を附せられる・・・」と記述されています。
山門前の標石は、「遷四国四十六番本尊薬師如来」と刻まれています。
現在の長慶寺はの本尊は阿弥陀如来です。
・第46番 長慶寺 高野山真言宗 幡羅郡西城村(現熊谷市西城)

四国四国八十八ヶ所霊場第46番医王山養珠院浄瑠璃寺の写しです。
御詠歌「極楽の浄瑠璃世界たくらえば受くる苦楽は報いならまし」

■僧形庚申塔

僧形庚申塔

長慶寺薬師堂参道に僧形庚申塔があります。熊谷市指定文化財で、説明版には、「当像は、舟形後背の塔身上部に二鶏が向かい合い、主尊は僧形で四本の手を持ち、前手は印を結び、後手は右に棒、左に宝輪を持つ、腰部には猿が配される」と記されていますが、埼玉県内の庚申塔の中でも古く、寛文元年(1661)造立です。西城本郷地区の講員皆さんが、本郷地区内の四つ辻に建てたもので、明治初期に現在地に移されています。
庚申塔は青面金剛像が多く、この僧形庚申塔は大変珍しいものです。
庚申塔については、当コーナー第43回さる(猿)にまつわるお話の「庚申信仰」を参考にしてください。

長慶寺ホームページへはこちらからどうぞ。

■第45回 残されている霊場の姿 第46番長慶寺薬師堂(西城)のスポット写真

案内図 
薬師堂
薬師堂彫刻(海老虹梁)
樹齢570年のイチョウ

■第45回 残されている霊場の姿 第46番長慶寺薬師堂(西城)の詳細情報

長慶寺ホームページ 長慶寺ホームページへはこちらからどうぞ。

作成日:2016/04/05 取材記者:mhennmi