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地域 歴史

第7回 青鮫を追い駆けて

■『青鮫は来ているのか』序章「はじめに―青鮫を追い駆けて」より

『青鮫は来ているのか」について掲載された
「朝日新聞」埼玉版記事
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2018年2月20日、金子兜太氏が亡くなった。「社会性俳句」を提唱し、俳誌「海程」を創刊、戦後の俳句改革運動を牽引した。兜太氏の死は多くの人々に深い悲しみと大きな衝撃を与えた。2016年、熊谷市は市誕生10周年記念事業で、兜太氏に合併旧四市町の歴史風土を主題とした「熊谷の俳句」の作句を依頼し、自らの揮毫で句碑が建立された。私はその句碑とともに設置された解説文の執筆を担当した。これを契機に私は共著として『熊谷ルネッサンス―熊谷の歴史と文化遺産を結ぶ「道」―金子兜太「熊谷の俳句」』を2017年11月に出版し、熊谷の歴史や自然風土についての対談を掲載した。同年十二月にご自宅で面会した際には「私は俳句で、君は歴史で熊谷を発信する対談をやろう」と元気に話されていた。これが私への最後の言葉となった。その計画は実現し得なかったが、ご教示頂いたことを通じて、文化や郷土に対する兜太文学の信念を受け継いでいきたい。そう考え続けている。

本書は哀悼の意を表すとともに、金子兜太俳句の世界と向き合うことを最たる目的として、兜太文学が切り拓いた新たな地平に着眼点を置いている。各項目に含まれる句の解釈は私の一つの見解表明に過ぎず、一般的に通用する俳句専門書や解説書とは異なるが、句との対話を通じて記した、私独自の「金子兜太論」であると明言することはできる。本文では金子兜太先生でも金子兜太氏でもなく、敬意を含めて「兜太」と記述させていただいた。兜太俳句そして兜太文学が作り上げた壮大な世界観に一歩足を踏み入れたい。その願望が本書を著す原点となっている。

俳句の解説を記すに当たり、各俳句に対して兜太氏は何を思い、何を思考し詠じたのかという点を理解する必要があった。このことについては、金子兜太著『金子兜太自選自解99句』及び金子兜太著『いま、兜太は』の第一部「自選自解百八句」を参考にし、各項目にて引用している。その他、兜太氏が句を自解した文章を読解しながら本書の下地を固めることにした。忠実な描写に重きを置く俳句がある一方、自身の内部で造型し、表現された句には背景や経緯がある。この点を注視し、51句を選択し、私の解釈を含めるとともに俳句に潜む基礎的知見や概要を加えている。これはつまり、それぞれの句が自然の中に息衝く動物や植物、日本各地の自然環境や地誌とも密接に関係していることに基づいている。なぜ、兜太氏はこの植物や動物を登場させたのか。なぜ、このような視点から風景を眺めたのか。こうした理解の一助となるための情報を解釈の中に織り込むことで、兜太俳句の更なる可能性を感じることができると私は考えたのである。また、兜太氏は最晩年を除き生涯に亘り句集刊行を進めており、その時期ごとの集成と捉えた上で本書における章立てを行った。また本書の終盤においては、各章に関する考察とともに2017年12月に行った対談の内容を掲載した。なお、本書の刊行にあたり巻頭言を、熊谷出身の作家、森村誠一氏に執筆頂いた。兜太氏とともに国内を代表する文化人からのご協力に感謝申し上げたい。

この執筆作業の中で私は、代表句の一つ「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」が表現しようとした空間とは何かを何度も想像した。私は「青鮫は来ているのか」と自分自身に問い掛けてみた。次第に迫力ある青鮫の到来を受け止める熱い気概が生まれ、兜太氏との対話が再び始まる瞬間があった。本書はその対話と思索の積み重ねを記したものである。

■第7回 青鮫を追い駆けてのスポット写真

2019年2月24日
熊谷市の星溪園で開催した金子兜太研究会にて俳人の田中亜美氏、安西篤氏と。
星溪園積翠閣にて、金子兜太揮毫「利根川と荒川の間雷遊ぶ」を前に田中亜美氏と。

■第7回 青鮫を追い駆けての詳細情報

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作成日:2020/02/27 取材記者:哲学・美術史研究者 山下祐樹